北満のシリウス
八月七日 午後一時十五分頃 ハルビン ハルビン街路上
「大丈夫!! 松浦洋行は、開いているでしょ? あそこのドームにのぼりたいの! ねえ、アキオ!」
そう言って、ナツは振り返ってアキオを見た。アキオは、ぜいぜい言いながら、しゃがみ込んでいた。
「ったくぅ、だらしないわねぇ。ところで、お姉ちゃん、準備は終わったの?」
「見ての通り、まだよ。だって、今まで仕事していたもの」
ナツは診療所の中をキョロキョロ見回して、最後に茂夫の顔に視線を向けた。ナツは、目が大きい。その大きな目で瞬きをすると、鳥の翼が羽ばたくように長いまつ毛が上下する。
「仕事してたようにも見えないけどねえ? いいわよ。じゃあ、お姉ちゃん、早く着替えて!!」
「言われなくても、着替えます!」
そして、ハルは奥の部屋に入った。アキオは、トボトボ歩いて、ベンチの一つに座り込んだ。ハルとナツは、そろいもそろって元気のいい姉妹だ。明るくて、庶民的なところも共通している。
ただ、ハルのほうは、長女らしく分別があり、言いたいことがあっても、相手の心を気遣ったり、場の雰囲気を察して、言葉を飲み込んでしまう思慮深さもあるが、ナツには、そのような遠慮は全くない。心に浮かんだことをそのまま即、口にしてしまうタイプだ。
周りが自分をどう見ているかなんて全く考えない。一度思い浮かんだことは言わずにはおれない、どこまでも無邪気で天真爛漫な性格なのだ。
そして、恐ろしく前向きな少女だった。自分で自分が、ハルビン一の美少女だと信じ込んでいるのだ。ナツは、とてもかわいらしい顔をしている。だが、姉同様、決して美人タイプではない。
茂夫は、女っぽくなってきたと評していたが、はっきり言って色気も全くない。グラマラスなロシア人女性も多いハルビンにおいては、ハルもナツもかなり痩せているほうだし、顔立ちも妖艶な感じとはほど遠い。