一 教員の”信念”と“不安”
部活動では次のようなことも起きる。
緊急事態宣言が出ていて、教育委員会から部活動の自粛が言い渡されているのに、クラブチームという大義名分を掲げて自らの判断で練習する顧問がいる。
代表者に保護者の名前を借りているとはいえ、実質の指導は教員がやっていたりする。その上、参加する生徒が部員だけとなれば、当然「部活動は中止のはずじゃないんですか」と保護者からクレームが入る。教育委員会に直接電話する人もいる。
クレームがあったことを顧問に伝えると、
「クラブチームです」
と堂々と答え、
「こんなに練習ができないと子どもの可能性が伸ばせない」
と、急に理想論を語り始める。
「いやいや、いまは緊急事態だから理想も大事だけれど、感染したらどう責任をとるの?」
「練習をしてもしなくても、感染する者はするじゃないですか」
「いやいや、あのね、感染した子だけの問題では済まないでしょう。家族にお年寄りがいたり、平日にクラスの子にうつすこともあるでしょう」
「そんなこといちいちこだわっていたら何もできないですよ」
こういう教員は、周囲から熱心な良い先生と思われていることが多い。本人も部活動を通して子どもの成長を支えてきたという自負がある。だから、部活動を奪われると、これまでやってきたことを否定されたような気がして〝不安〟になる。
その〝不安〟が邪魔をして冷静な判断ができず、部活にハマりすぎている自分を客観的に捉えられずに、周りが見えなくなってしまう。