銭湯は半月に一回ほど行った。当時は風呂銭が二十一円で、十円玉二枚と一円玉一枚を奥さんが金庫から渡してくれる。硬貨一枚転がしても失くしたら戻ってくるようだ。

あるとき、電車を乗り継ぐ使いを頼まれたことがあった。ところが、渡された電車賃の四分の一が足りない。渡されたとき確認しなかったため、仕方なく帰りの電車道の半分は徒歩。帰りがかなり遅くなり閉店近くであったが、何も言われなかった。私も何も言わなかった。

入店して一年後ぐらいに、腕時計の分解と組立の練習用に、使えなくなった時計を親方が私にあてがってくれた。二年ぐらい経った頃は曲りなりにも、腕時計の修理ができていた。あるとき親方の知人宅へ集金に行ってこいと言われて出向いた。

「時計屋さん、お茶を一杯飲んでゆきなさい。田舎はどこ?」

ついつい喋ったのがまずかった。後で気づいたがこれは演出であったはず。このとき洩らした不満が親方の耳に入ったのは確かなはずだ。夕食中に

「いるのが嫌なら帰っていいぞ。お前の親から頼まれたわけではない」

と言われてしまった。

「明日帰る」

と言ったら

「布団は明日チッキで送ってやる」

と言われた。今晩一晩寝たらここは終わり。

次の日の朝、下着類をビニール製のケースに詰めていたら、おばあちゃんが来て

「お兄ちゃん待ってくれ。うちの子も悪い気持ちではないから。お兄ちゃん頼むから、いてくれないか」

と私の手を握りながら言うので、手を振り解くことはできなかった。そこへ奥さんが来て

「ほんとうは私もいてほしい」

と言うので、帰り仕度を止めることにした。親方が書いた店員募集の貼り紙を、奥さんがはがしに行った。東京で飯炊きなど下働きを続けた。おばあちゃんがいてくれたお陰で、私は三年間お世話になることができたのだ。