今ある人生の土台になっていると思う。自主性が芽ばえ巣立つことができるまでに、みんなが私を育ててくれた。腕に自信も付きお金に対する欲も出てきた。

三年間自分でもよく続いたものだと思った。他人と比べることなく、全国どこでも行ける職人になるための、技術の習熟一点に集中できたのである。

時計修理技術者を優遇していた南米ブラジルへ渡ろうか、そんな野望も生まれたものだ。

後述するが、自衛隊を辞めたときは戻ってくるように言われ、給料も出すとのことで再び時計修理の道に入った。戻ってみて分かったことだが、親方は家から職人として出してやると言い、奥さんは店を継いでほしいと言う。二人の意向が違っていたのだ。

時計は修理して使うより、使い捨ての時代に変わりつつあり、職人として生きるにも不安があった。店を受け継ぐことは養子になるようなもので、責任の重さに耐えられないと思った。