【前回の記事を読む】「人生の土台になっている」時計屋での住み込み修行は「何事も一からの勉強」

極貧の足跡をたどる(昭和十八年~四十二年)

自衛隊に入って時計修理をやるため、お世話になった時計屋を辞めると決めた。重苦しい雰囲気の中で、みんなに了解してもらった。

まさかの自衛隊へ

時計職人として働ける店を自分でも探そうと思い、職安へのぞきに行ったとき、自衛隊の勧誘に声をかけられ、自衛隊にも時計修理があると聞いて大きく心が揺れた。足が弱いことや特異な職場を軽く見て、好きな仕事でお金がもらえることに負けたのだった。

務まる自信はなかったが、教育隊の前期後期を何とか終えて、原隊へ。私は武器職種で車の整備隊員になった。しかし、つなぎの服を着ての作業や油の匂いには馴染めなかった。時計修理とは天と地の差であった。

入って間もないが辞めようと思い、順序に外れた行動ではあったが、直に中隊長室をノックした。

「自衛隊を辞めてどこへ行くのか」

「時計修理に戻ります」

辞めたときは戻ってくるように言われていたのだ。

「君はそういうことができるのか。それなら自衛隊の中の精密機器で、光測器材の修理の方へ回してやるが、やる気あるか?」

「あります」

再び教育を受けて、業務班長を入れて四人の班に入った。今までいた一人を移動させて私を入れてくれたのだった。

入隊して一年経つと、殆どの人が精勤章を一本付与されて、制服の袖口に白い線が入る。同じ中隊に配属された十人のうち七人が付与され、残り三人はもらえなかった。その中の一人が私だ。後の二人は服務規律の悪い方であった。

このときの精神的ダメージでしばらく精彩を欠いていたが、半年後に私も付与されみんなと同じになった。その後続けて付与され二本になった。最初に一本付与された人より多くなった。人間、人より遅れても、腐ってはダメだと思い知った。

小隊長が修理室へ来て「平瀬、目覚し時計が壊れている。直せるか?」と聞かれた。

後日、新聞紙にくるんだ時計をカバンから出して、「余裕のあるとき頼む」と言われた。修理工具は若干持っていたので役に立った。直した時計の調子がよかったらしく、官舎の中から壊れた時計を持ってくるようになった。