【前回の記事を読む】新時代に向けた学習の在り方。STEAM教育っていったい何?
1 変化の激しい時代に向けた教育
1-1 求められる学習の在り方
振り返れば、明治維新や数次の戦争、オイルショック、大災害等、我が国には変化の激しくなかった時代の方が珍しいといえるかもしれません。その都度、日本人はそれに対応し、生き抜いてきたといえます。そうした状況においては、複数の分野の複雑な関連を理解することが求められます。
このことについては、奈須正裕『「資質・能力」と学びのメカニズム』東洋館出版社、2017、p.170. の、「複雑で混濁した状況で学んだ知識であってこそ、複雑で混濁した現実場面の問題解決での活用に耐えることができます」「不自然なまでの過剰な単純化は、子供の授業参加への道を狭め、かえって習得の可能性を引き下げ、さらにせっかく習得した知識さえも生きて働かない質のものに留めてきたのです」という記述と関連があると考えます。
また、同書pp.167-168 には、「具体的な文脈や状況を豊かに含み込んだ本物の社会的実践への参画として学びをデザインしてやれば、学び取られた知識も本物となり、現実の問題解決に生きて働くのではないか。これがオーセンティックな(authentic:真正の、本物の)学習の基本的な考え方です」とあります。
ここでお伝えしたいのは、断片的な知識をもっているだけでは生き抜いてはいけないということです。学校教育に求められることは、思考を深めながら知識や技能を得、また、知識を使いこなし、試行錯誤しながら課題を解決する力の育成です。そのためには、各教科の領域を超えた全人的教育を展開することが求められています。
本書では、全人的教育に好適と考えられる一つの方法である、「合科的学習」1)、異なる教科を融合させた学習として、STEAM 教育を取り上げます。
1)「教科」という垣根が極めて低い「合科」に対し、「教科横断」は「教科」の垣根があることが意識されているといってよい。我が国の教育界では、「合科」という用語自体は、大正中期に使われ始めた。2
各教科の枠を超えた、総合的な学習課題に迫る実践が各地で試みられ、「分科」と対応して「合科」という用語が生まれ、大正期から昭和にかけてほぼ定着したものである(木原健太郎編『総合・合科的学習の教育課程化』明治図書、1977、p.21.)。
合科的学習と教科横断的学習であるが、教科横断的学習の中に合科的学習が含まれるという整理もある(静岡県総合教育センター http://web.thn.jp/ninjinhouse/j-sougou-teigi.pdf[2022.9.10.10:15 閲覧])。
合科的学習は、現状のように、教科が分けられている現実を前提にしたときには、ねらいを達成するために、各教科の類似教材を組み合わせることが多いようである。一時期よく聞かれた「クロスカリキュラム」も教科横断的学習の一つであると考えられる。これは、各教科の枠は保ったまま、教科間の関連指導を充実させることを意味していた。
教科横断的学習の対になる概念が総合的学習(学習指導要領における「総合的な学習の時間」)で、総合的学習は「各教科で身に付けた力」を「教科の枠を超えた分野で活用させる」ことをねらいとするものである。
なお、筆者は、合科には3つの形があると考えている。
1つ目は「教材(テーマ)の内容」に焦点を当てた(あるテーマを複数の教科で扱う)合科的学習、2つ目は、「活動や授業法」に焦点を当てた合科的学習(国語と音楽の学習を、共通の授業方法で行う)である。しかし、筆者は、より全人的な教育を目指す上で、一歩踏み込んで(3つ目)「能力分析的観点による合科」(例えば、関心・意欲・態度とか、思考力・判断力といった観点)を目指した活動を構成する必要があると考えている。
このことで、「音楽は好きだが数学は嫌い」というような言葉に表れる、教科分断的な意識も克服したいと考える。