「もう、終わったんだから」

しんみりとした、小さなかすれたような声で、男は言った。ここで怒ってくれた方が良かったかも知れない、その方が憎しみをぶつけられるのに。相変わらず、アンタは淡々としてるんだから。睦子は失望して、その場でいっそう、孤独になった。黒目の可愛らしい少女は、工房の隅にしゃがみこみ、華奢な背中を震わせて泣いていた。

男の痩せた貧相な後ろ姿を見て、今さらのように「ニセ仙人」がどう見直しても、ぜんぜん男としては素敵ではなかったことに気がついた。嫉妬と軽蔑が、ほぼ同時に、虫が群がるように湧いてきた。それでいて、自分は場違いの嫉妬深い中年女なのだという、自責の思いに捉えられた。睦子はしばらく、痙攣するように立ち尽くしていた。

「悪いのは、あたし?」

そしてハンカチで虚しく鼻をかむと、葉の散らばっている天窓のガラスを見上げ、無理やり、ぎこちない笑顔を浮かべながら、咳払いをしてみせた。

「本当に、悪者は、あたしなの?」

洟水が、左側に逸れて、みっともなく、冷たく横に垂れていくのがわかる。「ニセ仙人」に、ここからバス亭へと向かう道を聞いた。この陶房まで来た道の記憶があやふやだったのだ。昔の亭主は、壁に貼った古い表を見ながら、三十分後にバスが来ると言った。停留所にまで戻るには、丘陵に沿った畑を、幾つか過ぎなければならない。

最後に、睦子は、インド更紗の似合う少女を睨みつけながら近づいていった。脅えている相手の手をとり、財布から二万円を引っ張り出して、無理やり、ねじ込むように手渡した。キョウハ、アリガト。トテモ タノシカッタワ。棒読みのように、冷ややかにそういった。これがやるせない、ひねくれた怒りの表現だった。

道の両側の林の色が、緑ではなく墨のような黒色に見えた。風景は穏やかなのに、深くて暗い藪の中の道を、狂った獣のような心を抱えて、ようやく歩いて来たような感触があった。それは、心のけもの道だった。その日、どうやって杉並のアパートまで帰って来られたのか、ほとんど記憶にない。

【前回の記事を読む】「あのヒトは不器用なの、だからあたしが付いていてあげないと。」