庭師と四人の女たち

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その後、睦子は鬱々として体調を崩し、朝も起きることが億劫になった。生きていくということは、物憂い肉体労働なのだ。ややもすると、暗く自己破壊的な衝動に傾きがちな気持ちを抑えるために、睦子は、自己啓発セミナーやら整体やら疑似宗教まがいのサークルやら、ヨーガ・スクールやらを渡り歩いた。

そして、ある日突然、啓示でも受けたかのように、何があっても前向きに、ポジティブに生きていくことに、決めた。夜中、夢うつつの中で、ハッと閃いたのだ。ほんとうに啓示を受けたような気もするが、錯覚のようでもあった。事実がどうであろうと、睦子はともかく、そういうことに、してしまいたかったのである。

当時、飯田橋の事務機器会社に勤めていたが、こつこつと貯金を始め、いつか簡単な自然食メニューを中心とした喫茶店を出すことに希望を燃やした。目的をもった途端、何かが起こった。やたらと偶然の好事が重なるようになって、自分が「変革」されたと思った。

「あたしね、あの日から、バイブレーションが変わったの!」

と彼女は友人たちに宣言して歩いた。はっきりと声に出して宣告すること、アファメーション。これが方便であろうと、自己暗示であろうと、そうすると意識が変わり、さらには環境も好転していくのだ。

睦子はいつのまにか、偶然の一致を引き起こす不思議な能力が自分にもあるように思い込むようになった。ちょっとした偶然、シンクロニシティーの類いが起こったとしたなら、それは彼女自身の意識の持ちようの結果であり、心の作り直し作業が成功した結果なのだ。そして幸せとは、自分固有のミクロコスモスを創り出し、その世界を十二分に生きることなのだ。

以後、これが彼女の哲学となった。睦子はユングの心理学と、インド帰りの胡散臭いヨーガ教師の本と、カーネギーの成功哲学を、ごった煮にして吸収した。それにしても、幸福を他人が与えてくれると信じていた今までの人生とは、一体、何だったのだろう。

「そうなのよ。今日はお客さんが午前中に十五人来るって直感的にヒラメクと、必ずそうなるのよ。不思議でしょう。このお店に決めるときの前日だって、夢に出てきたんだから。大きな欅の樹が現れて、あたしはその前でうっとりと木の幹をなでているの。不動産屋さんと一緒に、花水木通りをずっと下ってきて、誰もいないテナント募集中のこの店に入って来たでしょう。

するとね、驚いたことに、奥の中庭に、夢で見た欅の樹があるじゃないの。『あ、ここです。ここがあたしに与えられた場所なんです』って、思わず言っちゃったわけ。変でしょう? でもあたしにとっては、それは、変でも何でもないわけよ。当然のことだったわ」