第三章 宿舎での生活
実家からは「そろそろ米が底を尽く頃合い」と思ってか、絶妙のタイミングで米が送られてくる。こういう具合だから、ひもじい思いをした記憶はない。それでも雄太は金使いが荒いから月末になると金欠病に悩ませられる。今と違って「金送れ」の電報を打つ。今の時代ではスマホなどという便利な通信手段があるが。「またか! 困ったものだ」と両親の嘆き節が聞こえてくるようだ。
両親は雄太からの「金送れ」の電報にびくびくしながらトラウマとなり、悩んでいたようだ。実家から月二万円くらいは送ってもらったような気がする。今の価格で二十万円にも相当するであろう。実家は農家であったので、不労所得はあまり期待できなかった。しかし山林は分散ではあるがあちこちに所有していた。
雄太が小さい時、両親や祖父が自分所有のあちこちの山林から枯れた松の落ち穂などを牛車に積み込み、大量に家に持ち帰ることが多かった。同行した雄太も子供ではあったとはいえ、大量に落ち穂が積まれた台車の後部を押しながら、「何でこんなに積み込むんだ」とぼやきながら、その量の多さにはびっくりしていた。
この落ち穂は五右衛門風呂と呼ばれる風呂を沸かすのには絶好の燃料であった。雄太が高校生の時だ。学校から帰宅し、夕方の四時頃ともなると四角い一段下の風呂釜口約四十センチ四方の小さな腰かけ台に座り、風呂を沸かすのが雄太に課せられた日課であった。その時には旺文社の赤尾好夫編集の英作文を声出して暗唱するのを常とした。
ある時、屋敷から垣根で区切られた脇路を歩いていた近所の主婦がこの様子を見ていた。風呂場の煙突からは煙がもうもうと上がり、〈ああ、風呂沸かしているんだな!〉と識別できた。
風呂場からは雄太の英作文を暗唱する声(China is not only larger than the whole ofeurope in area, but has a quarter of population in the world...)が聞こえてきたのであろう、後日、母親に向かって「雄太ちゃん感心やねえ勉強好きで!」と賞讃の言葉を送った。母親は雄太には裏切られてばかりいたから、少しは誇らしさを感じたらしい。
母親が父親に
「雄太も悪名ばかりでなく、良い噂もあるねえ」
と漏らした。