その山林も雄太への仕送りに少しずつ切り売りされた。今も大きな面積の山林は残っているので心の痛手に苛まれるのは少しで済む。まったくもって両親や兄にとって雄太は食わせ者であった。

雄太が議員宿舎に住んでいたことが郷里の世間で知れ渡っていたことから、両親は世間体を憚って精一杯の虚勢を張っていたことだろう。実は富士見町には雄太の中学時代の級友の青山忠男が婿養子として住んでいたが、詳しくは知らなかった。議員宿舎からは多分四百メートルも離れていなかったに違いない。お互い青春時代どこに住んでいて、どういう生活を送っているのかは皆目分からなかった。

今ではこの界隈は「言論社」がこれ見よがしに隆盛を極めている。都心の一等地だから、忠男には売却後に莫大なお金が入ったと聞いた。雄太と忠男の実家は五百メートルも離れていないから郷里では自然と噂が耳に入る。

勿論良い噂ばかりではない。雄太の噂は「悪事千里を走る」のだから両親は気が気でならず、一時も気が抜けない。油断大敵なのだ。これも〈思わぬ一つの人生で、人生とは分からぬもの〉なのだろう。

雄太は両親に御恩を返せないうちは成仏できないと考えている。特に母親の信江には肩身の狭い思いを何度させたことか、数え切れない程だろう。郷里の母親は屋敷の斜め後ろの家に住んでいる同年代の女友だちから〈うちの息子(雄太より三歳年下)は京葉大学を出て会社の部長に昇進した〉とか〈新築の家を建てた〉とかの自慢話を聞かされていた。

近隣の家庭では雄太が大学へ入ったと聞くや、〈負けてなるものか〉と真似をして進学を目指した。まだ大学へ進学する子供は少なかった。そういう意味では、雄太は地域の先駆者と言っても過言ではないと思う。

それに引き換え、雄太に関する情報で自慢できるものは何もなかった。ただ金欠病に苦しんでいる雄太を自慢する訳にはいかない。友達から自慢話を聞かされた母親は

「良いねえ敏男ちゃんは孝行息子で。それに引き換え、うちの雄太は馬鹿でどうしようもない」

と寂しそうに答えるしかなかった。陰では涙が止まらず、肩を震わせ、悔しくて本当に情けなかったに違いない。

後に雄太は大会社の「世界航空」に入るのだが、だからと言ってどのような生活を送っているのかも分からず、人様に吹聴できる自慢話は何一つ無かった。母親はちょっと書き物に自信を持っていたのか、雄太に対してせっせと手紙を書き送ってきて

「雄太元気か、真面目にやってくれよ! パチンコなどはやって欲しくないねえ、〈人間の屑〉となってしまうからね」

と自分の気持ちを伝えてきた。しかし雄太には何の効き目もなく、一向に改心の兆しが見えず、心配ばかりするのがせいぜいだった。草場の陰では「雄太は情けない」と滂沱していることだろう。雄太は母親を思いだす度に〈何も楽しい思いもさせてやれず〉、苦労ばかりさせてしまった自分が情けない気持ちでいっぱいだ。

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