次の朝、同じ庭に男は控えていた。アレッサンドロ・ヴァリニャーノと名乗る男は、騎士が王の前で行う「礼」をした後、日本式に片膝をついて蹲踞の礼をとった。
その様子を信長は、食い入るようにみていた。一分の隙もない姿である。
「かなりの手練れじゃな。今迄の伴天連とは大分違うな」と、見て取った信長であった。それから末座に目をやり、弥助には笑みを送った。
「弥助はどこの者じゃ。何故あのように黒いのじゃ」
信長はヴァリニャーノに尋ねた。目を輝かせて尋ねる信長に対して、ヴァリニャーノは静かに答えた。
「この度は、上様よりこの者に弥助という名前を頂戴し、ありがとうございました。この者は本名をマトペと申します。両親は、アフリカ大陸の東海岸にありますモザンビークというところの者でございます」
信長は傍らの地球儀を回した。以前、イエズス会宣教師のルイス・フロイスから献上された地球儀は、信長の「大のお気に入り」である。信長は、地球が丸いことを理解した初めての日本人と言える。地球儀を回すことを、こよなく愛していた。
「ここじゃな」
「さようでございます。今はポルトガル王による植民が盛んでございます。しかし、マトペが生まれる前に、両親は奴隷としてイタリアに送られたのでございます」
「何故、ポルトガルではなくイタリアなのじゃ」
「現在、アフリカ大陸より東の交易は、ポルトガルのみが許されております。一四九三年に、ローマ教皇アレクサンデル六世猊下が、条約でお定めになられました」
ヴァリニャーノは、慎重に言葉を選びながら、話を続けた。
「奴隷は、先ずポルトガルの首都リスボンに送られ、その後、買主の国に送られます。そのようにして、マトペの両親は、イタリアに送られました。そして、ローマ教皇猊下直属の作曲家であり、私の偉大なる音楽の師であるパレストリーナ様のブドウ畑で働くこととなりました。マトペはそのブドウ畑で生まれたのでございます」
「ブドウとは、あのチンタの材料じゃな」
チンタとは、ポルトガル語のティント・ヴィーニョ(赤ワイン)の事である。ミサの儀式に必要不可欠な赤ワインは、仏教徒には、人の生血と勘違いされた。信長は、酒は強くはなかったが、赤ワインをチンタと称して既に愛飲していた。
「さようでございます。チンタを作る為のブドウでございます。私は学生時代に、パレストリーナ様の教えを受けてから、ずっと師とは親しくさせて頂きました。この度、東インド巡察師として赴任するに当たり、師にお願いをし、従者として連れて参った次第でございます」
信長は暫し考えていた。そして、いつもの強い所有惑が沸々と湧いてきた。
「では、弥助をわしにくれ」
「承知いたしました。上様のお役に立ちますれば、何よりでございます。但し私はローマを旅立つ際、この男を無事にお返しすることを師匠に約束してまいりました。その事を守れるようご配慮頂けますでしょうか」
「相解った。約束しよう」
一年後に襲う不幸など微塵も感じない満面の笑みで、信長は答えた。