自力小遣いを中学生

私が入学した中学校は、合併によって新しくできた竜北中学校だった。山側の村、平野の村、海側の村、三つの村の小学校の子どもたちが一つの中学校に集まる。人数も多く、いろいろな子どもたちがいた。賑やかで、楽しい中学校だった。入学した当初の何か月かは、私は学校に納める教材費が払えなかった。すると担任の先生が代わりに払ってくれたのだ。

日本の戦後は続いていた。我が家だけでなく、まだまだ貧しい人も多かったのだと思う。それでも生徒のことを親身になって思ってくれ、身銭を切ってまで守ってくれる先生がいたことには、感謝の気持ちしかない。人の情という意味では、当時のほうがずっと温かく、深かった。

お金のなかった我が家で、少しでも母を助けたいと私は一計を案じた。

近くを流れている氷川では、初夏になるとアユがたくさん釣れるため、釣り好きの大人たちがやってくる。私は釣れたアユを釣り人から買い取って、料理屋に売ろうと考えたのだ。まずなけなしの小遣いから桶と秤を購入した。そして釣り人たちに声をかけて、釣れたアユを重さで買い取った。

みんな釣ることが目的で川に来ているので、これは金になると喜んで分けてくれた。私はそのアユを桶に入れ、氷屋で氷を仕入れて樽に詰めて、熊本にある料理屋まで売りに行った。