【前回の記事を読む】決死の覚悟で父と決別!新生活にも慣れた頃、予想外の訪問!?
第一章 貧しき時代を生き延びて―終戦、そして戦後へ
台湾に生まれ八歳で日本へ
父、倒れる
小学五年生くらいになると、ようやく私も学校での生活が楽しくなった。ふだんはそれほど目立つ児童ではなかったが、ひょんな拍子に変わった行動をして、人を笑わせるのが好きだった。クラスでちょっとした事件が起きたことがある。些細なことから男子二人が喧嘩をし、持っていた小刀で相手の男の子に怪我をさせてしまったのだ。
こう書くとおおごとのように思われるかもしれないが、当時はそれほど大騒ぎするようなことでもなかった。しかし小刀は危ないとして、学校に持ってくることは禁止となった。だが、小刀がないと不便である。鉛筆を削るための大事な道具だったからだ。私は先生の言いつけを守らず、筆箱に小刀を入れて学校へ行った。そこに先生のチェックが入った。
クラスで小刀を持っていた児童は五人いた。全員が廊下に並ばされ、一人ずつ先生から平手打ちを受けた。私はいちばん最後に並んでいた。一人、パチン。二人、パチン。三人、四人、私の番だ。先生が手を上げた途端、私は打たれたふりをして頰を押さえ、言った。
「イターイッ!」
みんな大笑いである。先生も苦笑いしながら、もう一度ピタンと少し加減をして頰を叩いた。そんなちょっとユニークな子どもであった。
ただ、学校での楽しさとは裏腹に、家ではつらいことのほうが多かった。何よりも暮らしの貧しさがあった。父は日本に帰ってから定職に就くこともなく、日中はブラブラして、夜になるとよく酒を飲んでいた。今考えれば、父は父なりに苦しかったのだと思う。台湾から日本に戻ってきて以降の自分の人生が受け入れがたかったのだろう。