二十

濃縮されたコアを抱えて、歩いている。水が姿を写しつつ、自身の影のポジション・質量があえて折り返したんだけど、本体をこえて寂しくいるのなら、本体は宇宙の孤独な質量のかそけき卵原子。または傀儡であるか、影はダークエネルギーの塗り替え。一部分、あるいは全体の隠し子としての影となる。

宇宙の果て、という考え方の恐ろしい無間。人格自体が濾過した破壊。さながらややもすると笑いが虚しく漂うらしい。宇宙には消滅の果ても、端もない。だからかまうなかれ、果てについて考えることは無意味な考察。無味乾燥だという。

生き心地あるいは生きる心地がさまよう堕落の根を無性に盗み見る。いつからかそうなった。自分を疑う現状が、媒介を探して八方塞がりだからか、それはまさしく個人的な内実の嗚呼の心地悪さである。ここでいう愚痴をこえているのなら、生きる幾何学的な考察の不眠症。歪ませ溶けた心地悪さは交わらないダークマター。隣り合わせた名ばかりのまやかしは巷のことである。

隣の部屋から漏れ出てくる音を、残存した月明かりがかすかに聴いている。荒野のようなかそけき気配に包まれているうちに、コトリと眠りにおちた。背中に異質な繭を抱えて……。