夢の記憶
私は三十五歳になっていた。いつ寝ているのか起きているのかわからない不規則な、その日暮らしが続いている。
巷では、ウイルス性の感染症が流行していた。それまで大病をしたことがなかった私が、この感染症に罹患した。やっと真面目に働こうと、国民健康保険に加入してすぐのことだった。
一緒に働いていた二人が、保健所へ行ったきり戻ってこなかった。私も濃厚接触者と言われ、検査を受けるために、発熱外来に行くように保健所から電話がかかってきた。
初めは厄介なことになったなと、無視していた。ところが発熱の症状が出て、日に日に具合が悪くなり、とうとう息が苦しくて歩行もままならなくなってから、私は指定された医療機関を受診した。
よい機会だったと思う。鼻に綿棒を入れられ、粘膜から粘液を採取されて、しばらく待つように言われた。検査はかなり迅速化していたとはいえ、三時間以上待った末に陽性の結果が出た。
「至急、入院の準備をしてこちらの病院へ行ってください」と言われて、事務的に書類を渡された。頭が真っ白になった。
(え? 入院の準備って、なにをどのくらい持っていけばいい? お金はいくらあれば足りる? 仕事は休めるのか?)
一度にさまざまな疑問が浮かんだ。わからないことをわからないままにしておいてもいいことはない、これが一人で生きてきた私の信条なので、フェイスシールドを付けた年配の女性に尋ねた。
彼女はおっくうそうに一瞬顔をしかめたが、何度も同じ質問をされているのだろう、まるでAIの受け答えのように、感情の起伏を見せないままに、プリントアウトした書類を渡してよこした。私の住む地域の自治体では、感染症の濃厚な疑いのある人の検査費用、入院の基本料は無料らしいが、差額ベッド代金や入院保証金などに関する記述と、さらにわからない文言が書いてあった。
さっきのフェイスシールドの女性は、見当たらない。困惑したまま、先にもらった書類の病院に電話をかけた。私の話はすでに伝わっているらしい。
「下着と洗面用具だけを持って、一刻も早く受付にお越しください。なお感染症の患者さんの出入り口は、一般の患者さんとは別になりますので、わからなかったら、必ず職員にお聞きください」
かなり早口でしゃべって電話は向こうから切れた。とりあえずアパートに戻り、下着を一週間分かき集めた。あとは、ふだん使っている洗面入浴セットを用意し、病院から指定された入院保証金は院内にATMがあるそうなので、そこで下ろしていこう。体調の悪さでフラフラして、しかも、入院という初めての経験に不安と緊張感が高まるなかで、私は準備ができたことを伝えるために、病院に電話をかけた。書類にそう指示があったのだ。
「公共交通機関は、使ってはいけないんですよ。民間の救急車を手配いたしますので、それをご利用ください」
検査から帰ってきて、また熱が上がって具合が悪かったので、なにを言われても、そのときの私は従っただろう。