三十分ばかり待っただろうか。玄関のチャイムが鳴った。仰々しく防護服を着た男性が立っていた。

「坂本曜さんですか? 部屋の戸締りをして後部座席にお乗りください」

「あの、何日ぐらいかかりますかね」

私の問いに答えはなかった。立っているのもやっとの状態だったので、黙って男性の指示に従った。

民間の救急車は、タクシーより乗り心地が悪かったが、もうこの時点でなにかを考える余裕はなかった。ビニールで仕切られた後部座席のシートに深く座ると、安心するよりこれからどうなるんだろうという不安が大きかったが、そんなことを考えるより、私はただ疲れていた。

迎えにきた、民間の救急車の運転手に問われたことにも曖昧に返事しているうちに、私はうとうとしてしまったようだ。病院に着いて車が裏門のようなところを入って、起こされた。緊張から、よけい熱が上がった状態で、私は言われるままに車を降り、指定された通用口から病院に入った。

待っていたのは驚くほどの量の書類だった。入院の証書と事前の問診票、さらにこの病院の規則と説明、これだけでざっと四十ページ以上はあった。

(こんなとき、頼りになる家族がいれば、雑務全部を引き受けてくれるのに)

思ったところで、私には家族はいない。朦朧とする意識を無理やり保ち、どうにか証書と問診票を書き上げた。

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