【前回の記事を読む】「煩悩即菩提」なんて仏陀は言ってない!? 仏教における煩悩の三毒とは?
第2章 仏陀の言葉の本当の意味
7 業
業(kamma)とは、身・口・意の行為のことです。身・口・意の3つの行為を、それぞれ、身業、口業、意業と言います。この3つの業は、思業と思已業に分けられます。
思業とは思いが内にあって外に現われてないものであり、意業のことです。思已業とは、思いが外に現われたもので、身業と口業がそれに当てはまります。
つまり、身業も口業も意業も、思いのことなのです。内にある思いか、外に出た思いか、の違いだけです。身体の行為も、口から出る行為(言葉)も、思いが外に現れたもので、思いの一種なのです。
仏教は、このように、思いこそ行為=kammaと考えているのです。少なくとも、思いがkammaの基盤であるというのが仏陀の考えなのです。
それは、中部経典『ウパーリ経』からも明らかです。ジャイナ教の教祖マハーヴィラは、業について、身業が最も重大であり、口業も意業も些細なものと主張しています。
それに対し、仏陀は、意業こそが重大なもので、身業も口業も些細なものだと言います。そして、それを極めて論理的に証明していきます。仏陀が、想いこそ、kamma(業=行為)の根本だと考えていたことが明らかにされた経典です。
仏陀は、kamma=業=身業・口業・意業=身口意の行為(特に想い)によって人生や環境のすべてが形作られると説きました。