原爆投下を既定路線としていた原爆開発の米軍官僚

このような国務省の動きに対し、原爆を開発した米軍官僚は原爆投下を既定路線として、その威力を最大限発揮できるよう行動していたことが最近わかりました。

原爆開発の実際の最高責任者であったグローヴスが死の直前の一九七〇年四月に原爆開発の実態について語ったインタビューテープがコロラド州・コロラドスプリングスにあるアメリカ空軍士官学校図書館の書庫から見つかりました。軍が正確な歴史を記録として残そうとしたものでした。

それによりますと、グローヴスは、投下の二年以上前から、どこに原爆を落とすかについて、すでに会議をしていて、その議事録が残されていました。トルーマンが大統領に就任する少なくとも五ヶ月も前からグローヴスは、原爆投下のスケジュールを立てていて「最初の原爆は七月に準備、もう一つは八月一日頃に準備、一九四五年の暮れまでに、さらに一七発作る」というもので、グローヴスは原爆の大量投下も計画していました。

ここでグローヴスが想像もしていなかったことに、ルーズベルトが死去しました。就任した当時のトルーマンの様子をグローヴスは、

「トルーマンは原爆計画について何も知らず大統領になった。そんな人が原爆投下を判断する恐ろしい立場に立たされた」

と言っていました。そして四月二五日にスティムソンとともにホワイトハウスでトルーマン大統領に原爆計画の進捗状況について初めて説明したのは、計画の続行を承認してもらう必要があったからです。計画の目的、原爆の材料・仕組み、実施計画などが簡潔に書かれた二四ページの報告書を持参したものの、トルーマンは、「報告書を読むのは嫌いだ」と言い、このとき、グローヴスは、計画続行が承認されたと解釈したと語っていました。

「原爆に関してトルーマンは、そりに乗った少年のようにただ滑り落ちていくだけだった」、

「トルーマンが大統領に就任する前に既に原爆投下に向け多くの準備が整っていました。一方でトルーマンには原爆の知識はほとんどありませんでした」

と述べていました。