【小説】うつ状態で体重37kg…その当時に出会った男との記憶

終活

私が終活を始めたのは10年くらい前からだ。初めは転居を繰り返すうちに断捨離にはまり、ミニマリストを目指していた。シンプルな生活は物欲をなくしてくれた。最小限のものだけで生活することは部屋だけでなく、心もスッキリさせてくれた。

そのうちに自分の「死」を意識するようになった。独り者の私にとっては死んだ後の細かい処理をしてくれる家族はいないので、死後事務委任契約を65歳になったら依頼しようと思っている。病気になっても延命治療は受けたくないので、尊厳死を尊重する団体にも入会した。

両親の墓は、兵庫県の山奥にあり、訪れるのは私と娘くらいだった。車がなければ不便で行けないため「墓じまい」をし、両親の骨は天王寺にある寺に「お骨仏」として供養した。今では両親と娘はお骨佛として綺麗な仏様になり、多くの人たちに手を合わせてもらっている。そのうち私も納骨してもらうつもりだ。

52歳の時、運転中に危うく自転車と接触しそうになった。夜間の運転は対向車のヘッドライトが眩しすぎて見えにくい。とうとう視力も運動神経も衰えたか、と思うと怖くなり車を手放すことにした。娘がとても気に入っていた車だった。娘はいつも助手席に座り、アイドルのCDを聴いていた。身辺を整理することは気持ちが良かったが、車を手放す時は、中古車屋に引き取られる白い軽自動車を見送りながら、娘と二人で泣いていた。

心が壊れていく娘であったが、調子の良い時もあった。そんな時は一緒に買い物に行ったり、料理を作ったりした。私は幼い頃から自分が貧しい家であったことが嫌で、娘に貧乏はさせたくなかった。人並みの生活、借家ではない自分の家を持つことが私の夢だった。

27歳で初めてマンションを購入した。ローンを返済するのは大変だった。病院の給料だけでは足りなかったので、他の病院で夜勤のアルバイトや友人のスナックで働いたこともあった。多い時には四つのバイトをかけもちしていた。家には夜勤明けで仮眠を取るためだけに帰り、その日の夕方にはまた夜勤に行っているという生活だった。

娘のことは母親に任せっきりで構ってあげることはできなかった。35歳の時に婦人科の病気になり、子宮と卵巣全て摘出した。その後、後遺症でうつ状態となり自己免疫疾患になった。その時の体重が37kg、そんな時に東野と知り合った。いや、ちょっと待て、その37kgの時に私は自分の死を覚悟した。

東野と知り合う前、私は相原徹也と会った記憶が蘇ってきた。私の自宅近くに彼を呼び出して、たった10分足らずの再会をしている。死ぬ前に一度逢いたいと思った。私のことを覚えておいてほしかった。当時彼は結婚し、子どもが生まれたばかりだった。奥さんの話をする時は、眼を細めて語ってくれた。こんな優しい顔を見たことはなかった。私は嫉妬の感情は湧かなかったが、ただ悲しいとだけ思った。

たぶん25年くらい前だ。私は記憶違いをしていたようだ。40年近く会っていないというのは私の脳が不要な記憶を冷凍保存していただけで、相原徹也と再会したことで、その一つひとつが解凍されていっているようだ。そんな記憶は思い出したくない、悲しすぎる…。