一見都会風で、それぞれがドアで隔てられたプライバシーではあるのですが、昔ながらの長屋のような一つ屋根の下感覚が息づいていて、何かあるとすぐにみんな棟の下に降りてきます。自治会活動が活発なのもあるのでしょうか。
階段ごとに防犯パトロールしたり、向こう三軒両隣的な感覚や、自分たちで守ろう!みたいな意識があります。落ち着いた頃、親たちに報告しました。
「緑が多いんです。まるで森の中にいるみたい……」
舅、姑に電話で話すと、そうか、そうかとうなずき、好奇心いっぱいになって、さっそく水戸を発って常磐線に乗り、息子夫婦の新居を訪ねてくれました。
「神奈川県住宅供給公社が、全英知を傾けてつくった素晴らしいニュータウンだ」
帰ったあとで、そんな手紙をくれたのですが、その3年後に亡くなった舅はなんでも、もったいぶって褒めるのが好きなお茶目な人柄だったので話半分かもしれません……。
それにしても住宅ローンは大変で、私もいつも何かしら家で仕事をしていました。1丁目にコンピューターマニュアルの翻訳事務所があって、それを銀行の掲示板で知り、下請けの仕事をさせてもらうことになりました。
1週間に1度くらい仕事のやりとりで出向くのですが、早めの夕食を食べさせて5歳の長男に2歳の次男の世話をよくよく頼み、1歳の長女をおんぶして自転車に乗っていきます。商店街を抜けたあたりから通称〝ヘビ道〟という、くねくね曲がった坂道を上るのですが、これが結構大変でした。
約78平方メートルの広さで当時の値段は約2500万円。公的ローンや会社からの住宅ローンを組んで返済していくことになりました。これはやはり楽ではないのでマイカーをあきらめ、引っ越し後早々に車をほしがっていた知人に安く譲りました。
車の維持費を考えるとこのまま持っているのは難しいだろうという判断です。夫は技術者で通勤はバス、当時の国鉄、私鉄を乗り継ぎ約1時間半はかかりました。当時1時間半の通勤時間は割に普通で、大変といえば大変ですが、まだまだ〝企業戦士〟という言葉が有効な頃だったので、お父ちゃんたちはがんばって通勤してくれていたのです。
長男はすぐに、団地内の幼稚園に通園バスで通うことになりました。それについては引っ越してくる半年ほど前に入園テストを受けていて、めでたく合格ということになっていたのです。
面接は親も一緒でしたが、個性的なわが息子が余計なことを言わなければいいが……と横ではらはらしていました。もし試験に不合格だったら人生最初の挫折になってしまうと、ずいぶん心配したものです。
幼稚園で友達もできて、通園バスで戻ってきておやつも食べるか食べないうちに、1キロも離れた1丁目の友達のうちに遊びに行くのですから、今思えばずいぶん大胆な子、大胆な母親でした。
私も下の年子2人の世話と、家でやっていた仕事とで忙しがってほとんど放置状態でした。きっと近所の人や、同級生のお母さんたちがずいぶん外で声をかけてくれたのでは、と感謝です。さらに若葉台は車道と歩道が完全分離なため、車の来ない安心感は大きかったと思います。
最初は不安でしたが、高層のビルが並んだ景色にも、整備されたまち並みや長く延びた遊歩道にも慣れました。下の子たちには近所に遊び友達もできました。親同士も顔見知りになり、いないときは同じ棟のどこかの家にお邪魔させてもらっているなど、今考えると団地生活というのはやはり子育てしやすい環境のようです。
今でも現役ママたちと話す機会がありますが、「若葉台で子育てできて本当によかった。ほかでの子育ては考えられない」とよく言います。公園が多く、用事のあるときに子どもを預かってもらえる、一時預かりもある、などのことが子育てしやすい環境にしているようですが、やはり第一は人と人とのつながりの濃さだと思います。
一見都会風で、それぞれがドアで隔てられたプライバシーではあるのですが、昔ながらの長屋のような一つ屋根の下感覚が息づいていて、何かあるとすぐにみんな棟の下に降りてきます。自治会活動が活発なのもあるのでしょうか。
階段ごとに防犯パトロールしたり、向こう三軒両隣的な感覚や、自分たちで守ろう!みたいな意識があります。落ち着いた頃、親たちに報告しました。
「緑が多いんです。まるで森の中にいるみたい……」
舅、姑に電話で話すと、そうか、そうかとうなずき、好奇心いっぱいになって、さっそく水戸を発って常磐線に乗り、息子夫婦の新居を訪ねてくれました。
「神奈川県住宅供給公社が、全英知を傾けてつくった素晴らしいニュータウンだ」
帰ったあとで、そんな手紙をくれたのですが、その3年後に亡くなった舅はなんでも、もったいぶって褒めるのが好きなお茶目な人柄だったので話半分かもしれません……。
それにしても住宅ローンは大変で、私もいつも何かしら家で仕事をしていました。1丁目にコンピューターマニュアルの翻訳事務所があって、それを銀行の掲示板で知り、下請けの仕事をさせてもらうことになりました。
1週間に1度くらい仕事のやりとりで出向くのですが、早めの夕食を食べさせて5歳の長男に2歳の次男の世話をよくよく頼み、1歳の長女をおんぶして自転車に乗っていきます。商店街を抜けたあたりから通称〝ヘビ道〟という、くねくね曲がった坂道を上るのですが、これが結構大変でした。