【前回の記事を読む】【時代小説】次代の首長として期待される男が訪れた土地は…
第一章 「持衰」
翌日、男大迹は金官国府に滞在していた宗我馬背(後に高麗と名のる)を訪れて、都を遷して間もない百済の情勢を伝えて今後の対応について話し合い、さらに百済の石工たちを連れて帰国する手続きなどを済ませ、出港日の当日朝に金海の湊に戻ってきた。湊は船出の準備で慌ただしく人が動いていた。
致福と鵜野真武が話をしている姿を見つけ、男大迹は近づき、「船出の支度は大丈夫そうだな。安羅子はどこにいる?」と声をかけた。
二人は一瞬、男大迹に振り向いたがすぐに顔を見合わせ口をつぐんだ。鵜野真武はうつむき、顔つきが沈み込んでいる。二、三拍おいて致福が重たい口を開いて話し出した。
「安羅子はこの度の帰国船の持衰を仰せつかり、昨夜祈祷を済ませ、今は役目のしきたりを受けているところでございます」と応えると、鵜野真武の顔がさらに青ざめた。男大迹は驚いて致福に向かって問うた。
「どういうことだ。こちらに来る時に持衰の役目を務めた牟古はどうした。どうして安羅子が?」
致福はいくぶん言いにくそうに、
「牟古はこれまでの苦労が出たのか、我れらが百済を訪れている間に血を吐き臥せっております。もう役目は務まりません。そこで船頭の安宅百魚が乗船する者の中で、まだ男になってない三人から神籤で安羅子を選んだもので、神の御意志に応えるほかはありません」
「うーん」と男大迹はうなり、唇を噛みしめたまましばらく空をにらみ続けていた。
「持衰」とは、長い航海において災害を避けるために、全ての人の災いを一身に引き受け、飲食は与えられるが、身づくろいも許されず謹慎して船旅の無事を祈る役割を担わされる。他の人からはある種の敬いの対象にもなる。航海が無事に終われば相当の褒美が与えられるが、災害に遭えばその責を負い、神の怒りを鎮めるために海中に投げ込まれることもある。
古くは『魏志倭人伝』に記述されており、遣唐使船にも、そしてその後の時代においても行われていたと言われている。倭国独特の風習であった。
それから、男大迹は致福や百魚と船の積み荷や寄港地などの打ち合わせを済ませた後、
「熊津では思いもかけぬ出来事で日数をかけてしまった。九月を迎えると天候も気にかかる。さあ船出だ。よき船旅を頼むぞ」
と百魚の肩に手を置いて語りかけ、船に向かった。