【前回の記事を読む】貧しい家庭で育った子が「いじめは大人の責任」と断言する理由

一粒の種子(たね)

事実、俺の少ない人生経験のなかで、目立ってしまったがゆえの、いじめやからかいをたくさん見てきた。

狭い町内、人の口に戸は立てられない。母さんは俺が生まれてからすぐ働いている。お店も同じ町内だったので、母さんがつい言ってしまった俺のテストの点数を、次の日には町内みんなが知っていた。よい噂より悪い噂のほうが、尾ひれがついておもしろおかしく伝わるのは、「勘弁してくれ」だった。

ひたすら目立たないように気配を消しているのが俺のキャラクターで、決しておとなしいわけではないと思っていた。小中学校の俺の狭い世界で、だいたいどこから学校に通っているかで、ふだん誰と群れているかが決まっていた。群れるということが、友達がたくさんいるということと、イコールではない。

ずっと母さんは言っていた。

「困っても誰も助けてくれないよ」

この言葉だけは俺の根っこにあったので、あくまで目立たないように振る舞っていた。

俺は孤独が好きなのではない。できれば親友がほしいと思っている。まだ幼稚だった俺は、異性のことを考えたこともなかったが、そろそろまわりのクラスメートのなかのマセた連中が、愛だ、恋だ、と騒いでいた。

授業についていけているわけではないが、給食食べたさに学校は皆勤だった。なんとなく、ただなんとなく、月日は過ぎていった。

俺はなんの目的もないまま、母さんに「中卒じゃ、今どき就職先もない」と、半ば押し切られたかたちで地元の高校に進学した。たまたま試験を受けたら、受かってしまったから、というのが正しいと思う。

進学して間もなく、俺はひきこもりになった。ひたすら、母さんが仕事に行くまで狸寝入りをしていて、部屋が留守になるとノソノソ起き出して、テレビを観るかゲームをする、怠惰な日々を過ごした。

母さんは、こうなった当初は文句も泣きごとも言ったけど、なによりも仕事が好きだったのだろう。そのうち、なにも言われなくなった。母さんになにも言われなくなって、俺の生活態度が許されたような気がしたのは、あくまでもその当時の短絡的な考えだった。

そしてある日、俺のパラダイス的生活も、終わりを迎えるのだ。