一連の妻の言動が心配になってきた。京都宇治市に精神科医療のO病院があると教えてもらった。その出先の診療所が隣の京田辺市にあることも分かった。私は、なるべく早く病院に連れて行き診断結果を知りたかった。日本中の嫁絶句…双子抱える主婦が家出を決意した、義父の一言 妻は、昔から病院は好きではなかった。また、納得しないと動かない性格でもあった。痛みがあれば病院に連れて行けるが、認知症は痛みも自覚症状もない…
認知症の記事一覧
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エッセイ『認知症介護自宅ケア奮闘記 私の知恵と工夫』【第7回】棚橋 正夫
「お父さんと一緒やったら行くわ」と言ってくれた。
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エッセイ『認知症介護自宅ケア奮闘記 私の知恵と工夫』【第6回】棚橋 正夫
数十年以上も住む自宅の場所を、妻が忘れてしまうとは
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エッセイ『認知症介護自宅ケア奮闘記 私の知恵と工夫』【第5回】棚橋 正夫
妻がスーパーから戻らない「どこに行った?」不安で探したら…
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エッセイ『認知症介護自宅ケア奮闘記 私の知恵と工夫』【第4回】棚橋 正夫
認知症妻の行動に夫絶句「私は知りません。」冷凍庫の中に…
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エッセイ『認知症の母を支えて 103歳を元気に迎えるまでの工夫』【最終回】石塚 武美
「足は20歳。顔は100歳」冗談が通じるほど回復した母。
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エッセイ『認知症の母を支えて 103歳を元気に迎えるまでの工夫』【第19回】石塚 武美
しゃべるおもちゃのネコや犬と遊んで母、ニッコニコ
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エッセイ『認知症の母を支えて 103歳を元気に迎えるまでの工夫』【第18回】石塚 武美
103歳の母。楽しく元気に過ごせるよう毎日続けたこととは?
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エッセイ『認知症の母を支えて 103歳を元気に迎えるまでの工夫』【第17回】石塚 武美
認知症の母の脳内で、強い刺激と感激が起きたのは間違いない。
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エッセイ『認知症介護自宅ケア奮闘記 私の知恵と工夫』【第3回】棚橋 正夫
「もしもし」と叫び…認知症妻の異常行動。夫が絶句して見た先
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エッセイ『認知症の母を支えて 103歳を元気に迎えるまでの工夫』【第16回】石塚 武美
「何としても知りたい!」 名前だけを頼りに祖父の生家を探す
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エッセイ『認知症の母を支えて 103歳を元気に迎えるまでの工夫』【第15回】石塚 武美
母はハイカラでやり手の商売人。父は婿入りの算数教師。
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エッセイ『認知症の母を支えて 103歳を元気に迎えるまでの工夫』【第14回】石塚 武美
認知症の母の代わりに「鹿沼高校」へ足を運んだあの日
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エッセイ『認知症の母を支えて 103歳を元気に迎えるまでの工夫』【第13回】石塚 武美
5000円なんてけちけちしないで私の通帳からおろして
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エッセイ『認知症介護自宅ケア奮闘記 私の知恵と工夫』【第2回】棚橋 正夫
「子供を連れて実家に帰ろうと何度も思った。」
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エッセイ『認知症の母を支えて 103歳を元気に迎えるまでの工夫』【第12回】石塚 武美
「こんなところで役立った」認知症の母にマッサージを続けたら
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エッセイ『認知症の母を支えて 103歳を元気に迎えるまでの工夫』【第11回】石塚 武美
「食べること」が、認知症ケアに効果的だといえるワケ
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エッセイ『認知症の母を支えて 103歳を元気に迎えるまでの工夫』【第10回】石塚 武美
親切な歯科技工士の方がいて、この粘着剤の使い方のコツを教えてくれました
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エッセイ『認知症の母を支えて 103歳を元気に迎えるまでの工夫』【第9回】石塚 武美
歌丸、小遊三、好楽、木久扇、三平、円楽、たい平、それに山田隆夫
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エッセイ『認知症介護自宅ケア奮闘記 私の知恵と工夫』【新連載】棚橋 正夫
「あの人は、もう、僕の母親ではない」と心に強く誓い強い憎しみを持った
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エッセイ『認知症の母を支えて 103歳を元気に迎えるまでの工夫』【第8回】石塚 武美
番組を見ながら、いろいろ一緒に雑談をすることは頭の訓練にとてもよかった