第1章 認知症の改善のために行った工夫

12 母親の両親の生家を見つけに

こうなると何としてでも母親のお父さんの「よしさん」の生家を見つけたい、との気持ちになりました。鹿沼市役所でリウの戸籍謄本をもらい読んでみると、よしさんの家は久我にあることが分かりました。市役所の人に何とか住所を調べてほしいと頼みましたが結局分かりませんでした。

どうしようもなく家に帰りました。何としてでも知りたいとの気持ちが強く、鹿沼の観光案内所に電話をして、「久我はどこにあり、どうしたら行けるのでしょうか?」と尋ねました。久我は、新鹿沼駅から15キロほどの山の方にあることが分かりました。一日数本バスがあることも分かりました。

早速、早朝家を出て東武新鹿沼駅で降りて久我に行くバスに乗りました。山に向かって20分ほどで久我のバス停でした。見渡すと田んぼと畑と数軒の家。バス停を降りたところにお蕎麦屋さんが一軒ありました。来てみたけどどうしようもない。お昼の時間なのでとりあえずお蕎麦屋さんに行きました。お蕎麦屋さんに年配の人がいたので、

「習志野市から母親の父親が生まれた家を探しに来ました。苗字は斎藤で、名前はよしじろうさんといいます。これだけの情報で、その家か、何らかの消息がおわかりになりますでしょうか? どのようなことでもいいですから、何かご存知のことがありましたら教えて下さい」

と言うと、お店の人は、

「ここいらは斎藤の姓が多いので、数軒斎藤の家を教えますから行ってみてはいかがでしょう」とのことでした。