第1章 認知症の改善のために行った工夫
12 母親の両親の生家を見つけに
母親に「お父さんとお母さんはどんな人だったの」と聞いてみました。母親は生き生きとした雰囲気で次々と言いました。
「お母さんのリウはハイカラさんで田舎のおくろがわが嫌いで鹿沼の町に土地を買ってもらって鹿沼に出てきたの。そこでお婿さんをもらって商売をしていたの。とてもやり手でいつも腰には米穀通帳のようなものをぶら下げていた。お父さんは小学校で算数を教えていたの。学校には自転車で通っていた。家でも近所の子供を集めて算数のほか国語と習字を教えていた」
「お父さんはお婿さんなのでおとなしかった。昔は跡取りの長男以外は家から出されたのよ。お父さんは長男じゃないの。お父さんはよく火鉢の脇でキセルでタバコを吸っていて、ラジオで株情報を聞いて株取引をしていたわ。お母さんは『びたまってばかり(方言で、座ってばかり、の意味)いて商売ができるわけがない。そんなにたばこをすうとおしりからヤニが出るから』と文句を言っていた」
「お父さんは夜になると、よく、私に、『ふみこ、タバコを買ってきてくれ』と言ったの。夜、道が暗く、一度だけだけど人魂(ひとだま)を見て怖かった。行くのは嫌だったけど煮しめ屋の山本さんのお店に行って銀紙に包まれたたばこのしきしまを買ったの」
「お父さんはお婿さんなので年に2回、お盆と暮れに実家に帰ったの。お母さんはお父さんに新しい下駄と着物とへこ帯を用意して、実家へのお土産の和菓子の詰め合わせを渡して、お父さんに『さあ、行ってらっしゃい』と言って送り出したの。お父さんは嬉しそうな顔をして自転車で実家に帰ったわ」
「家は、たくさんの山を持っていて製材所もあり、山の売買、製材、の商売をしていたの。商売は専ら母親のリウでいつも出かけていたわ」
「自分にとって一つだけ残念なことがあったの。家の裏には大きな桐の木が何本もあったの。私は五女なのだけど、上の四女のお姉さんまでは結婚するとき家の裏の桐の木で箪笥を作ってもらったけど私が結婚するときはもう桐の木は残っていなかったの。私は箪笥屋さんに連れていってもらって気にいった桐の箪笥を買ったの。箪笥の裏には屋号の升貞と墨で書いてあるわ」
このように両親との生活を実に詳しく覚えていて、母親が両親の愛情のもと温かい家庭で育てられた様子がよく伝わってきました。
今、私の家には裏側に墨で升貞と書かれた貴重な母親の箪笥があります。私の宝です。