第1章 認知症の改善のために行った工夫
12 母親の両親の生家を見つけに
落ち着いてから、母親に、「お母さんとお父さんの生家に行ってきたよ。写真も撮ってきた」
と言うと、母親は、どちらの家も今まで行ったことがなかったので非常に驚いた様子でした。すぐに「どんなところだったの?」と聞いてきました。
私が、「お母さんのリウさんの生まれた家は、日光市で鹿沼に近い小来川という山の多いところにあってものすごく立派だった」
母親は感心しきりと聞いていて「そんなに立派なの」家全体の写真を見せると「随分と大きい家ねえ。これが私のお母さんが生まれた家ね。行ったことなかったので初めて分かった」
その後も、興味しんしんでいろいろ質問しました。
次に、私が「お父さん、よしさんの家は久我という山の中のちょっとした盆地のようなところで畑に囲まれていて、とても大きな家だった。これが家の写真」と言って見せると、
「立派で大きいのねえ。でも、武美ちゃんどうしてお父さんの家が分かったの。私はどことも聞いたことがなかったんだよ」と驚いていました。私は、偶然、偶然、でたどり着いた話をしました。母親はしきりと感心して次々と質問をしてきました。
脳の中は、初めて知った、初めて見た、両親の家で、強い刺激と感激、が起きたことは間違いなかったと思います。この刺激は脳を強く活性化させ、認知症の改善の特効薬のような気がしました。頭の中では、リウとよしさんの記憶細胞が活発に動いたと思います。
久我で、私は、気分がよくなってバス停に歩いて戻る途中、昔なつかしい、水車や井戸があったので写真を撮りました。母親に井戸の写真を見せると「まー、ジャッキ井戸ね」とガチャガチャこぐ井戸を「ジャッキ井戸」と呼び、嬉しそうな顔をしました。
40歳のころ長く住んでいた土浦の右籾の家でジャッキ井戸を使っていたのです。母親は、
「右籾に住んでいた時、冬、井戸は凍ってジャッキが上下しなくなるので、朝起きると一番にやかんでお湯を沸かしたの。お湯が沸いたらジャッキの上からやかんのお湯を注いで氷をとかすとはじめて井戸が動いた。お湯を沸かすのも芯を使った石油コンロで芯にマッチで火をつけるのが大変だった。指が芯に触れると石油がついて、指がいつまでも石油臭くて嫌だった」
と写真のジャッキ井戸から60年ほど前の土浦の生活がすっかりよみがえったのです。