英連邦共通の博士論文づくり

仕事は日本でやっていた抗リンパ球抗体の仕事の延長であり、前述のごとくネイルン教授ともども考え、仕事を進めていたのでゆとりがあった。2年目になり、ネイルン教授から博士論文の目次をつくるよう指示を受けた。先輩のPh.D.論文を参考にして目次づくりをはじめ、各項目を埋めていった。私の手書きの英語をジェニファーが添削してくれた。

そのやりとりで、「ここには“the”がいるだろう」と、日本の文法が頭にある私が問いただすと、彼女は「いらない」と言い張る。なぜだと再度聞くと、自分で口読していらないという。このような会話をしながら私の英語力は着実に向上していった。

ちなみにジェニーは歳は私より10歳近く若かったが、仕事面では私の一級先輩のシニアPh.D.で、テーマは私と同じ抗リンパ球抗体に関するものであった。来豪時のデイビス講師とのやりとりの伏線にはこのあたりのことがあったのである。

文献作りは膨大なもので妻順子が助けてくれた。数百ある文献をカードに整理してもらった。

論文を書きはじめる最初の仕事は私が行っている抗リンパ球抗体の関連文献を網羅し、それらを読み、内容を分類してその中に私のテーマを位置づけ総論としてまとめることであった。それができると仕事に使った試薬のレシピを正確に書き、そのあと各実験項目に入っていくという手順を踏んでいった。

従って最終的には300ページ近い膨大な著書となった。論文を最後に提出する際には当時の一流ジャーナルに少なくとも3~4編のペーパーを発表し、それらの別冊を添付しなければならないという縛りもあった。

3年の仕事にしては決してやさしい学位ではなかった。私に可能であったのは日本で同じテーマで4年間の積み重ねがあり、加えてジェニファーという素晴らしい同僚が居たからである。

イギリス連邦:かつてのイギリス帝国がその前身となって発足し主にイギリスの植民地であって独立した主権国家からなる。2015年現在カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなど16か国で構成。

抗リンパ球抗体:抗胸腺細胞抗体の胸腺をリンパ球に読み替える。

【写真2】子供のパーティー。晶子と浩司はケンカになると興奮し て英語でケンカしていた。それぐらい子供の語学吸収は早い。 帰国後いろいろ資料を持ち帰り2人に聞かせて英語力を 維持しようとしたが子供2人に拒否された。日本社会が当時それを許さなかった。今とは時代が違った。