はじめに
“山名、お前は自由人だからな。”
学生の頃親しい友人からこんな言葉をかけられたことがある。自己中心的という意味だろうか。自分では特に意識していないが、心を自由にして思うがまま、心の向くままに考え、行動をとる故であろうか。
私は一生を振り返り、社会的立場や立身出世など考えたことは一度もない。むしろ人の作った組織の中で身を処すのは苦手で、誰からも干渉されない自分の城を築きたいとの願望はあったようである。
原点は子供のころのささやかな夢にあった。大学を卒業したら医者になり、海外で数年生活し、日本で自分の城を持つ。今の子供のオリンピックで金メダルには比べようもない小さなたわいない思いであった。
大学卒業後16年間を大学病院で過ごした。その間、思いもかけず二つの発見をし、医学界にもいささか貢献した。順風であったが自分の長くいる場所ではないとの思いから下野した。
少々道草をし、56歳の時満を持し、我が国初のリウマチ、膠原病専門病院を創業し、集患数で全国2~3番に位置する病院に育て上げた。実質的な私の人生のスタートであった。この病院で強固な財政基盤を作り、広島生活習慣病・がん健診センターを併設し、規模を拡大し、20年目を迎える現在、扱い健診者数では西日本で多分トップであろう。
若いころから爺々趣味があり、書画骨董を見るのが楽しく、備前焼で鑑識眼を養い、中国絵画、大型天版木工の作製を経て、石に巡り会った。
石に狂い、還暦を過ぎたころより仕事の傍ら全国から銘石を集め大規模な岩石日本庭園を造り、気が付けば江戸時代の外様大名さんも青くなる仙石(せんせき)庭園を完成させていた。現代の大名庭園である。この庭園は未来永劫遺さねばと思い80歳にして観光業を起こした。解散時は国家財産となる一般社団法人の所有とし、庭園経営を自立に少しでも近づけようと苦労している。
庭園にある神石殿内には、盆石、水石、鉱物(美しい原石)もあることから仙石庭園銘石ミュージアムとネーミングし、寄付も仰がねばならず登録博物館の道を追求している。2020年12月文化庁より我が国初の庭石ミュージアムとして正式に認定された。日本庭園史に1ページを加える快挙である。