100歳人生の時代である。生き急いではならないと思いつつ、実に多彩な人生を駆け抜けてきた。80歳を越した今庭園の完成をみた。多くの人々からこの庭園は文化遺産として歴史を刻むと言われこれらの記録も残しておかねばと考えこの拙文をまとめた。

この連載は心の赴くままに生きた山名征三の自分史であり、その自己体験を基にした行動と思考の記録である。振り返って80年の人生を以下のような潜在意識で生きて、今日があると思う。

1、上を向いて未来志向で生きる。

2、人と同じ発想をしない。

3、反骨心を持ち続け、正面突破を図る。

4、人に迷惑をかけない。

5、人の恨みを買う行為をしない。

6、事業をする際、人の好意をあまりあてにしない。

7、待つことを知る。

8、成功するまでやる。

9、謙虚に生きる。

10、よほど困ったとき相談できる人脈を持っておく。

などである。昭和から平成にかけ、バブルがはじけJapan as No.1の世界から平成30年には、日本の世界における立ち位置、存在感は薄くなっている。中国、韓国が台頭し、日本国は右肩下がりである。令和の時代は日本人が元気になってもらわねばならない。

凡庸たる人生のスタート

私は1938年(昭和13年)生まれで、80歳を過ぎた。岡山県倉敷市児島の海のほとりで生まれ育った。両親は医師で、父は内科、母は眼科を開業していた。6人兄弟の三男として育ち、周辺には医者が多くいた。

小学校1年の夏、日本はアメリカをはじめとする連合国に無条件降伏した。私は田舎にいて空襲も受けず、敗戦の実感がない。戦争の記憶は防空壕と防空頭巾、小さな布袋に入れた豆類の非常食を枕元に置いて寝ていたことくらいである。空腹の余り、夜こっそり起きて、非常食を食べた記憶は鮮明に残っている。

昭和20年の夏、30キロメートル離れた岡山市内の夜空が、異様に明るく、岡山の町が空襲で焼けているのだと親に言われ、その映像は目の底に張り付いて残っている。

岡山県倉敷市児島下之町の自宅で家族写真。 父は内科医、母は眼科医。私は後列左より2人目。この家で中学1年生まで過ごした。