【前回の記事を読む】「台湾紅茶」発祥の地・フォルモサへの旅…台北は渋滞だったが

台湾紅茶発祥の地、南投県まで行って感動

「お客さん、ここが目的の木生昆虫博物館だよ」

台湾でも蝶の宝庫といわれるここ埔里の山中では、初秋の9月とはいえ、日本の真夏のような陽光に、木々はまぶしく輝いている。にぎやかなセミの声に迎えられて、タクシーは、敷地内を玄関までゆっくりと進んでゆく。

感慨に浸る間もなく、さっそく入館料を払い、入館。順路に沿って二階にあがると、台湾のみならず、世界中の昆虫標本が、見事に陳列展示されている。平日のせいか、来館者はまばらだ。

一通りの展示を見て回り、一階の売店で係りの女性に販売品などにつき、いろいろ質問していたところ「少しお待ち下さい」といって、その女性は奥の事務所に入っていく。

しばらくすると、細身ながらしっかりとした体つきの白髪の老紳士が、にこやかに現れた。「こんにちは。いまは三角紙標本の販売はしていません。私も歳をとりましたので、もうあまり採集にも行きませんし」と綺麗な標準語の日本語で、答えてくださった。

いろいろお話をお聞きするうちにこの方は、なんと大変高名な台湾の昆虫研究家・余清金先生だということがわかってきた。博物館入り口には、この方自身の立派な銅像があり、その裏側には、余先生の研究への貢献に対する感謝のしるしとして寄贈する旨、これまた日本を代表する有名な昆虫学者、ざっと10名位の名前が刻まれている。

余翁に運よくお会いする事ができたのは、望外の喜び。先生著作の台湾の甲虫に関する図鑑2冊に署名頂き、訪問記念の写真を一緒にお願いした。結局往復10時間を越えた埔里行きも、現地滞在はわずか2時間弱だった。

今を遡ること軽く1世紀(120年以上)の頃の台湾で、紅茶作りには日本人も深くかかわっていた事実がある。そのお茶の歴史的名産地と隣接する南投県埔里まで辿り着き、思いがけない出会いが待っていた、貴重な一日バス旅行。謝謝! 余清金先生。

こうしてその年、オールド昆虫少年の夏休みは、無事に終わった。