【前回の記事を読む】世界が注目する台湾の高級茶を求めて。麗しの国フォルモサへ!

台湾紅茶が生まれたフォルモサで

その後、19世紀末に一時生産輸出の低迷期を経ると、日清戦争後1895年より約50年にわたり台湾が日本の一部となる。そして茶業にも、日本の資本が参入する。

三井合名(その農林課が分離独立し、後の三井農林となる)は、生産茶園を有する6産地工場と1仕上げ工場を、台湾北部を中心に経営し、当時としては特筆すべき近代的なエステート方式による生産体制を確立した。すなわちこれは、インド・セイロンと匹敵する製茶機械による一貫生産であり、200万ポンド(約1000トン)の年生産能力であったそうだ。

[写真1]最近頂いた日月潭紅茶(紅玉)、細く長く、茶葉の形がそのまま残され仕上げられた紅茶で、甘みのある柔らかな味わいのなかに、珍しくはっきりと香り立つメチルサリチレート香(ウバの香り)が感じられる。台湾茶でもウバフレーバーが出るこ とが確認された
[写真2]文山包種茶・阿里山茶・台湾紅茶。文山包種茶は、大型デカンターで淹れ、常時夕食時の食中茶として、愛飲している。台湾式作法と異なるが、冷やせば冷茶としても大変重宝

ここでは、やや長めの発酵工程(three-quarters fermented tea)で改良された台湾烏龍茶いわゆる香檳烏龍茶が生産され、1923年に最初のサンプルがアメリカに送られた。続いてインドからアッサム品種の導入も行われ、より発酵度を高めた完全発酵の紅茶(Formosa Black tea)が生産されるようになった。(*注1)その製品は、三井物産を通じて英米他諸各国に輸出され、特にロンドン市場では、ダージリン紅茶と芳香風味を競う高級品として扱われたそうだ。(*注2)

ところでこの紅茶は、ダージリン紅茶のキャラクターであるマスカテルフレーバー(ムスクを語源とする、マスカット葡萄に通じる独特の香気)と同質の香りを持っていたと推察される。それを裏づける点として、初夏に発生するウンカに、若芽を適度に食された茶葉(ウンカ芽)が原料として使用された場合に、とりわけ素晴らしい香気を生成する現象が、現在でも台湾の香檳烏龍茶とインドのダージリン紅茶に共通して認められている。

昭和の時代に入ると、いよいよこの紅茶が、1927年(昭和2年)、日本国内に「三井紅茶」として発売された。そして1930年(昭和5年)には「日東紅茶」の始まりに繋がったそうだ。このようにかつて世界的な高級茶供給基地としての輝かしい茶業史を持つ台湾。長い時が過ぎた今その位置づけは変わってきたが、熟練の茶農たちは毎年腕によりをかけてフォルモサ・ウーロンをつくり続ける。

文山包種や凍頂烏龍を代表とする爽やかな香味の包種茶系と、やや発酵度が高く紅茶に近い独特の甘い香りをもつ香檳烏龍や東方美人という、好対照で素晴らしい品質の烏龍茶となって、ゆっくりと進化している。台湾紅茶発祥の地、南投県まで行って感動続いて、紅茶発祥の地への珍道中もお話ししましょう。

まだ暑い盛りのある年の9月初め、家族で台湾旅行となった。台北で観光中の家族と離れて、紅茶の産地でもある南投県にある埔里プーリに、実は一人で行ってきた。目的は、台湾紅茶の歴史的生産地視察と言いたいところだが、筆者にとって同様にプライオリティー高く、暑い季節になると衝動に駆り立てられる昆虫趣味に関わること。それは、念願だった台湾最大の昆虫博物館である木生昆虫博物館への訪問である。

心おきない趣味の一日ではあるが、何事も自分自身で対処せねばならない一人旅だ。台北から埔里までは、鉄道の台北駅そばから、台中経由埔里行きの高速バスで行けることがわかった。所要時間は3時間ほどとある。