「で、なんと」
脇に控えた竹内秀勝が覗き込むようにして尋ねた。
「一存殿は有馬へ湯治に向かう途中、落馬されて、亡くなられたそうじゃ」
儂は震える声を飲み込んだ。
「乗馬が得意な十河様が落馬とは……」
秀勝は『意外』とばかりに儂の顔を見た。
〈鬼十河〉こと一存は一昨年に病を得て、和泉岸和田城で治療を続けていた。
「このところは身体の調子も良いようで、『有馬へ湯治に行くそうだ』、と先日も御屋形様と話をしたところで、御屋形様も安堵しておられたのだが……」
その折に、一存の愛馬が葦毛馬だったことを思い出した儂は、
「有馬の権現様は葦毛馬を好まぬと聞きます。迷信とお笑いになるかもしれませぬが、葦毛馬での参詣はせぬよう、御屋形様からお伝えくださいませ」
と、長慶様にお話し申し上げていた。
長慶様はお話しくだされたようであるが、豪胆な一存は、「障りなし」と、やはり自慢の葦毛の愛馬で出かけたのである。
一存は、まだ働き盛りの三十路であった。病が快方に向かっていたとはいえ、体力が充分ではなかったのであろう。いくら乗馬に長けているとはいえ、岸和田から有馬までの十二里もの長い距離を馬で移動するには無理があったのではなかろうかと思われた。
和泉国を治めていた十河一存が亡くなると、その影響がすぐに現れた。それまで逼塞していた河内の旧守護畠山高政が旧臣をまとめて再起し、これに紀伊の根来衆が合流し、一存を失った岸和田城を囲んだ。
一存亡き後の岸和田城は、安宅冬康率いる淡路衆が守っていた。
梅雨が明けると、和泉の動きに呼応するかのように、近江の六角承禎が細川晴元の次男細川晴之を盟主として挙兵し、京に迫った。
京の松永屋敷に暮らす保子と二人の娘を伴って京を脱し、儂らは飯盛城へ向かった。
飯盛城で多方から舞い込む知らせを聞いた長慶様は慌てることもなく、
「岸和田のことは、高屋の実休に任せると伝えよ」
と命じ、側近は素早く走り去った。
「京は霜台に任せる」
「承知仕りました」
此度はいかなる理由で挙兵したのか確かめるべく、儂は六角承禎に使者を送ったが、返書には将軍義輝公のことには一切触れず、抗議の文面がしたためてあった。
「細川晴元様と修理大夫殿(長慶の官途名)が和睦されたのは喜ばしいことなれど、細川様親子を普門寺城に幽閉してしまわれたことには合点がゆかぬ」
と……。