【前回の記事を読む】「震える声を飲み込んだ」栄華の極める一族に届いた書状とは…
永禄四年(西暦一五六一年)
高屋城の三好実休は、河内衆・腹心の篠原長房が率いる阿波衆・四兄弟の叔父にあたる三好康長・今では大人しく服従している三好政勝から成る七千の兵を率い、岸和田城へ向け救援を急いでいた。
一方、細川晴之を奉ずる六角承禎と義弼の親子は、猛将で名高い永原安芸守を大将として勝軍地蔵山城に陣取った。
「六角勢、勝軍地蔵山に入城。その数およそ一万」
伝令の早馬が知らせた。
三好勢も京に入り、三好義長様の芥川山衆は梅津に、儂ら滝山衆・信貴山衆と与力の松山重治は西院に、それぞれ一万を率いて布陣した。
梅津の義長様は白川口から細川晴之勢の陣取る馬淵に兵を進め、三郷修理亮などの重臣を喪いながらも、逆に薬師寺、柳本などの細川家累代の重臣を討ち取り、奮戦していた。
「三好の若殿も白川で奮戦しておられる。儂らも負けずに奮い立てぃ」
儂も兵らを鼓舞しながら、勝軍地蔵山城を目指して進軍した。
これを見た六角家の猛将の永原安芸守は、自ら鎌槍を振るって応戦してきた。永原安芸守の勢いは凄まじく、味方の誰もが永原を食い止めることができずにいた。
「退くなぁ!退くなぁ!」
儂はがなり立てた。と、その時、永原安芸守が勢い余って一騎だけが突出したのを儂は見逃さなかった。
「あれなる猪武者を取り囲んで仕留めよ!」
儂の大音声に応じた兵らは永原を囲んで八方から槍を繰り出したが、猛将の永原に六本までは払い除けられた。しかし七人目の槍が永原の脚を貫き、永原が膝をついたところを八人目が組み伏せ、首を討ち取った。
「一番槍は、松山家家臣、中村新兵衛高統なりぃ」
「松永弾正が家臣、中西権兵衛が大将首、討ち取ったりぃ」
それぞれが晴れがましく名乗りをあげ、周囲の味方に歓声が沸いた。
「敵は大将を喪ったぞ。押し返せ!」
儂は大声を張り上げた。大将を喪った永原勢は総崩れとなり、六角承禎が本陣を構える神楽岡へと退いていく。
「追え!追え!」
と、手にした軍配を儂が前方へ振り出した時、左手の吉田山が動いたと見えた刹那、数百もの矢の雨が降り注いだ。六角家でも名うての弓の名手、三雲三郎左衛門率いる弓隊が斉射したのである。『しまった』と思った時には、周りの幾人かが呻きとともに倒れた。
「殿ぉ、ここは危のうござる。急ぎお退きくだされぇ」
本庄孫三郎が一目散に駆け寄ってきた。
儂は周囲を見渡し、
「そういたそう」
と判断し、
「もう良い。永原安芸守を討ち取れば当方の勝ちも同然。者どもぉ、退けっ退けっ退けぇ!」
声を限りに叫びながら、儂は手勢をまとめてその場から逃れた。