その一か月後、彩子が突然、私に話があると言い出し、「結婚することにしたから」と宣言した。私が子離れできていないことを心配したのか、何か決意は固いというような顔つきだった。父親の葬儀が済んだばかりで、忙しいことだなあと思ったが「おめでとう」と心から祝福した。
「お母さんは、私が遠くに行っても寂しくない?」
と心配している。結婚相手が、現在東北地方勤務で新居は東京から離れることが決まっているからだ。
「それは大丈夫」
と言うと遠距離恋愛を成就させた彩子は安心したようだった。結婚となると、家どうしのことになるので、それはそれで気忙しい。縁組とはそういうものだ。となると……四月のパリ行きは無理だな。
あきらめるのに、少しの時間と迷いが生じたが、ここは娘のことが第一優先。自宅の畳や障子を張り替えたり、婚約者が挨拶に来たり、両家で会食をしたりとひととおりの儀式らしきものを済ませた。しかし、私はパリ行きをあきらめることはできなかった。忙しい夏期講習が終わった八月末から九月初旬には短い休暇がとれる。ちょっと延びたが、二〇一八年八月の終わりに渡仏しようと決めた。
昨年二回の訪パリと我が家の冠婚葬祭で出費が重なったので、私は三月からダブルワークを始めた。夕方前には終わるベビーシッターの仕事に就き、二歳と一歳の姉妹のお世話をした。二人とも私になついて、奥さんの人柄も温厚で私を重宝がってくれた。週二日間が掛け持ちのスケジュールとなり、大変だったがそんなときはパリの左岸を思い起こした。ただ、五月のゴールデンウィークと八月の夏休みは軽井沢で過ごした。