Ⅰ 晩夏のパリ

パリでまさかのフランス人とまさかの恋に落ちた。

彼に見つめられた瞬間、ふわりと落ちてゆく自分がわかった。ちょうど一年前のことだった。

ここ何年か親しくしているボーイフレンドが、私をパリに連れて行きたいと言い出した。

彼はパリがお気に入りで、若い頃の思い出もいろいろと聞いたことがある。

私は数年前に娘の彩子と一緒に行った経験があるので、せっかく海外に行くなら他の都市がいいと言ったのだが、彼は私とシャンゼリゼを歩きたいらしい。

「えりか、最初はパリにして、他の国は来年行けばいいよ」

彼の説得の台詞があまりにおかしかったので、私はフランス行きを笑顔で承諾した。

二〇一七年八月の終わり、二度目のパリだった。そして、こともあろうに私は現地で恋をして帰ってきてしまったのだった。

それは、ボーイフレンドがホテルのベッドでごろごろしていることが発端だった。私たちはパリ左岸の6区、ヌフ橋(ポン・ヌフ)の近くにアパートメントホテルを借りて、四日間の短いパリの日常を暮らすことを目的としていた。

セーヌ川をはさんで右岸と左岸に分かれるパリ。セーヌ川の向こうの大きな建物の一群はルーブル宮とルーブル美術館。そのまま左にまっすぐ行くとコンコルド広場に出るはずで、その先にはシャンゼリゼ大通りが華やぎ、果ては凱旋門が待っている。

パリの一日目、私たちはそのシャンゼリゼへと繰り出し、その後ホテルまでの帰路上にあるルーブル美術館へ寄った。お互いにルーブル美術館は初めてではなく、モナリザやサモトラケのニケと再会したあと広い館内をひととおり巡った。夕方には足が棒のようになっていて、ホテルに帰って私より年上の彼がベッドで休むのは当然だった。

しばらくして「晩御飯に、近くに出よう」と誘っても、「いらない」とけだるい声が返ってくるだけだ。仕方がないから私は一人で出かけることにした。まだ明るいし人込みではないから危ないこともないだろう。ちょっとドキドキしながら「パリの胃袋」と称される左岸のサン・ジェルマン・デ・プレ地区に一人で飛び込んでいった。