父の不思議、母の不思議
私の両親には不思議なところがある。父は朝起きて顔を洗うとタオルを肩にかけたまま外で合掌している。小さい頃父に尋ねたことがある。
「何を拝んどるん」
「お陽さんに皆が無事に暮らさしてもらっていますとお礼と、今日も一日皆がなにごともなく元気に暮らせますようにとお願いしとんや」
百姓の朝は早い。太陽は出ていない、家は西向きで父は西向きで祈っている。太陽は背の方から出てくる。
昭和三十年代、私が住んでいた在所では、風呂を毎日沸かす家は希で、隣の家と交代で沸かしていた。家の人が終わると声を掛けてくれてもらい湯に行くのである。
ある日、行者がお堂からこちらを見ているのを見て、父が風呂を沸かせと言う。昨日沸かしたから沸かさなくてもよいのではと答えると、行者さんがうちで泊まっていくから沸かせと言う。水を溜めて薪に火をつけたころに行者がやってくるという具合である。
私が幼い頃、毎年暮れになると女性の神官が家にやってきて、正月神様のお迎えの準備をしてくれる。神様の名前はわからないがお供え物の中で毎回目を引くものがある。後ろから見ていると包みの中から太さ一寸くらいで長さ三寸から五寸ほどの木を数本取出し、ナイフで上一寸あまりを綺麗に削りあげ、白い菊の花が咲いたように見え、数本のうち二、三本は必ずこんな細工がなされている。短い木はそのまま並べて供えられている。成人してからアラハバキの神様にこのような物を供えているのを何かの本の写真で見たことを覚えている。本の名は失念してしまった。
父も母も明治生まれで母は学校には四年だけしか行っていないという。母の手紙は平がなばかりで書かれており、父の手紙の中に忍ばせている。母はいろんなことで不思議な人であった。今は科学万能、医学の進歩めざましく、その方面の方々から非難されるようなことが度々あった。