手かざしを考える
『霊界物語』の最後の入蒙記で出口王仁三郎の入蒙時の様子が記されているが、活躍もさることながら殺されそうにもなっている。
出口王仁三郎師の入蒙に先立つこと十三年早く、蒙古の王侯、ラマ僧から再三再四にわたる招迎の懇願と要請を受けてのことである。此のときの様子が、奇跡の超能力開発法太霊道の冒頭で語られている。まさに神を迎え入れるような様子が記されている。
しかし、二十一世紀の今、太霊道の存在を私は知らない。大本教と確執があったにせよ、素晴らしいものが消えてしまった。なぜ消えてしまったのだろうか。なぜ存在が許されなかったのだろうか。
田中守平の下に集い、講受会に参加した人たちの大部分は自己の立身や栄達を望んだであろうことは難くないが、せめて三人でも、田中守平と志を同じくする者がいれば、又違った展開があったのではなかろうかと思い、何とか後世に残せなかったのかと惜しまれる。
しばし考えていると以前読んだ本の一文を思い出した。九字法についてである。
一書によると、九字法とは太古高貴な神々が人間に漏らされたるもので、というくだりである。人間に教えてはいけないものがあるらしい。田中守平に神が感応し、教えられたものなのか、守平自身が神の世界に籍を置いていたのかはわからない。
いずれにしても、神の世界に到達したのであろうことは想像に難くない。