【前回の記事を読む】祖霊の祀りこみへ、突如苦しむ参加者を見た導師が放った一言

手かざしを考える

真光では、手かざしはごく当たり前に行われている。というよりも手かざしなしでは真光は成り立たないであろうと思われる。わずかな時間手かざしを受け、施し、すれば悩みや苦しみ、身体の異常も和らぎ、何時しか健康になり、病を知らない身体になるという。

私自身、若い頃少し俯くと吐き気を催し、身体に力なく、金槌をふるうにも握力弱く穂の向きが定まらず、釘を打つにも苦労をし、この先、何時まで大工を続けられるか思い悩んだときもあるのである。

三年近く阿含宗で過ごし、真光に来ていつしか身体の異常を忘れ、以来数十年間、歯科医以外で病院に行くのは、健康診断ぐらいである。かかりつけ医もない。阿含宗にいたおかげか、真光に来てかざす手から光が出ていて、一人一人光の色が違うことも実感として残っている。

大本教の文献を読み漁っていた頃、何回か気になる箇所を目にした。一部の幹部の人たちは、手かざし、のようなことを行っていたのではないかと思われるのである。

最初気にとまったのは、日月日記の中に短い詩が並んでいる中で大本関連ではないと思われる詩が二首並んでいる。

太霊道靈華殿堂焼け跡の寂しく見えて裸山並む

武並の駅に太霊道総本院と太き木標禿げて立つ見ゆ

此の字句を見て奇異に感じたことだけは覚えている。太き木標禿げて立つ見ゆ、は哀惜なのか(あざけ)なのか、どちらかといえば嘲りに近いと思ったのである。

一度読んだというよりも目を通した程度といった方がよいかもしれない。もう一度読み直していたとき、日月日記の中にまた短い文章で太霊道のことが記されているのを見つけた。金巻トンネルを越ゆれば武並駅なり、太霊道総本部の看板いかめしく立つ。右手のやや小高き丘に石の門柱立ちし貧弱なる家あり。

是を目にして大本教と太霊道とのあいだでなにか行き違いがあったのだろうかぐらいに考えていた。太霊道のことを知りたくなり書店巡りをして『奇跡の超能力開発法太霊道』という本を手に入れた。内容たるや驚くべきものである。創始者、田中守平の行動力である。

弱冠十九歳で、軍事演習の視察を終えた天皇陛下一行が桜田門に入門しようとするところを待ち受け、命を賭けて隊列に突入した。その手に一封の書を掲げ、憂国の少年・田中守平、謹んで陛下に奏し奉ると絶叫しながら護衛たちが止めようとする間もなく、彼は天皇陛下の下までたどり着き、謹訴の二字を表記した上奏文を手渡すことができた。たちまち捕らえられて警察署に連行され、厳しい取り調べを受けることになる。

天皇陛下の地位が今とは比べものにならないほど高かった時代である。どれほど日本の行く末を憂いていたか窺い知れるというものである。奇跡の超能力開発法太霊道から引用させていただく。