流行神様
私が生まれて中学を卒業する迄住んでいた所は徳島県のほぼ中ほど、吉野川と支流の貞光川が合流した所に開けた小さな町、川を間に西を西山、東を東山といった。
生まれ育った場所は東山の中腹で町並みを見おろすような所である。幼い頃の忘れられない光景がある。
川むかいの大坊という所で神様が出現されたらしいという。荒壁作りの小さくて粗末な庵に引きも切らぬ人で、終日人影が絶えることはなかった。
やがて道の両側に幟が立ち始め、最初は人の背丈ほどであった幟が競うように大きくなり青竹で高さを競い布の幅も広くなった。東山から見ると路面は見えずただ白い物が大きくうねっていた。どれくらいの月日が過ぎただろうか、すぐ近くの畑から原型を留めないほどに赤く錆びた刀が出てきて、畑の持ち主は小さな庵を建て同じようなことをやり始め、本家争いが始まった。
ほどなく、最初の庵もおかげが戴けなくなったのか人影は絶えてしまった。大きさを競った幟も風雨に曝され黒ずみ、いつの間にか全て取り払われ、元の静かな風景に戻った。何十年ぶりかに訪れてみると庵の一部が残り、祀られていた神様は野津郷大権現様と書かれていた。庭の欅だけが大きくなっていた。
当時の人たちは何を望み、何を願い、何が叶ったのかうかがい知る由もない。
気になること
子供の頃から気になることがある。
本の題名も忘れてしまったが
経文の一行か二行、ほんの一部分を取り上げて
世の終わりのことを書いてある。
一冊だけなら気にもならないが、
二冊三冊となるとどうしても気になる。
経文の全文が分かったのはずいぶんのちのことである。