第1章 「生きる」ということ
裕福になりたい!
私が小学校4年生の時、日本はアメリカを中心とする連合国との戦争に負けました。子ども心に、母が「国債が紙屑になってしまった……」と嘆いていたことが、未だに忘れられません。金も物も食料もない、そんな時に少年時代を過ごしたからこそ、私は裕福になりたいと心から願いました。
私の子どもの頃のあだ名は「ケチイチ」です。だいたいあだ名なんてものは本人にとってはあまり嬉しくないことが多いものですが、それでも「ケチイチ」は秀逸です。お金なんてなかったので、本当にケチだったんでしょう。
しかし、お金がなかったからこそ、「裕福になるにはどうすればいいか?」を真剣に考えました。そしてその結果「医者になろう」と決めたのです。その頃、戦争でケガや病気になった人たちだけでなく、敗戦に伴う貧しさのために病気になる人も少なくありませんでした。要するに、身の回りにケガ人や病人がたくさんいたのです。そんな時代ですから、腕の良い医者になって評判が高くなれば、多くの患者さんが来てくれて儲かるだろうと考えたというわけです。
その後大学と大学院で医学を学んだ私は、最終的に精神科の医師になりました。最大の決め手となったのは、日本国憲法の下で精神衛生法が制定され、精神障害者に対する制度が大きく変わったことにあります。精神障害者については、それまで私宅で監護されるのが普通でした。
ところが、敗戦により、欧米の考え方に基づいて病院に入院させて治療と保護にあたることと定められたのです。この制度に合わせて、日本中で精神病院の建設ラッシュが起き、私も小矢部大家病院を開業しました。開業当時寝食を忘れて働いたのは事実ですが、制度変更という時代背景により、病院経営を軌道に乗せることができたのは間違いありません。
その後も、精神衛生法から精神保健福祉法への転換にあわせて精神障害者のグループホームを開設したり、介護保険制度のスタートに合わせて介護老人保健施設を開設したりするなど、法制度や時流、需給バランスなどを見極めながら、小矢部大家病院を中心とする医療法人・啓愛会の規模拡大に成功させてもらったのです。
私はお金のない時代を経験したからこそ、病院の拡張や介護老人保健施設の開設など、これぞというタイミングで「ドン!」と思い切ってお金を使うことができたのかもしれません。小中学校の同級生はもちろん、医学部時代の同級生まで含めたとしても、私ほど経済的に成功した人はいないでしょう。
そう考えると、「ケチイチ」と呼ばれて「なにくそ!」と思っていた時期があったからこそ、今はこうやって悠々自適の生活を送れているのかもしれません。