あるがままに生きる
私たちは古来、一堂に会し、一緒に何かをすることで人と人との絆を作り、社会や文化を築き上げてきました。たとえば、日本各地に残る祭りは、地域の皆が力を合わせて神輿を担いだり、山車を引き回したり、踊ったりすることで人と人、人と自然が一体となり、生きている実感や充実感を感じていたのです。
そして、そのようなつながり、一体感こそが、一人ひとりの「生きる力」となっていたのだと思います。コロナ禍の中で人と人とのつながりが希薄になっていくことは、一人ひとりの生きる力を損なうことになるのではないかという危惧を感じています。そこで大切なのが、「ありのまま」を受け入れる、ということです。
不安神経症の治療法のひとつに「森田療法」という治療法があります。これは精神科医である森田正馬(もりたまさたけ)氏によって創始された独自の精神療法で、世界中の国々で実践されています。この「森田療法」を簡単に言えば、自分の「あるがまま」を受け入れるということです。
誰でも不安や恐怖を感じることはあります。その不安や恐怖に対して「こうあるべき」と考えたり、「こうあってはならない」とコントロールしようとしたりすると無理が生じ、かえって不安や恐怖にとらわれてしまうのです。「森田療法」では、不安や恐怖の感情を無理に排除しようとするのではなく、それらをそのまま受け入れるようにする。つまり、「こうあるべき」「こうあってはならない」といった考えから脱して、常に「あるがまま」の心でいられるようにすることを目指します。
先行きの見えないコロナ禍の中で、不安や恐怖が勝ってしまう瞬間は少なくありません。しかし、誰もが不安や恐怖を感じながら生きています。その不安や恐怖を無理に押さえつけるのではなく、不安や恐怖があって当然だと考えて現状をそのまま受け入れるように心がけてください。きっと明るい光が見えてくるはずです。
若者たちへ
老年期に至って思うこと
平成18(2006)年に小矢部市長を引退してからはや15年という時間が流れました。とはいえ、すでに私は老年期といえる年齢になってしまいました。そうなって感じるのは思うようにならない身体の衰え、病気になることへの恐怖、そして、何かをやろう、という気力の衰えです。
夜にベッドに入り、眠りにつく前のほんのわずかな時間などに、「もっと世界中旅行をしてみたかった」「やったことのない仕事に挑戦してみたかった」などという考えが頭をよぎります。しかし、もはやどうにもなりません。この本を手に取った、まだ若い皆さんは、元気な間にやれること、やりたいことの全てに、果敢にチャレンジしてほしいと思います。それこそが、人間という種に課せられた使命なのです。
政治家を引退してからの私は一市民として生き、世の中を見て考え続けてきました。そんななかで特に気になるのは、日本という国と、そこに生きる日本人という民族の未来です。見るということもなく、今の世の中を眺めていて感じるのは、便利で快適になったぶん、何かが失われてしまっているのではないか、という危惧です。
たとえば、戦後の日本では、GHQ(連合国軍総司令部)の占領政策に基づいて「天皇陛下のため」「国のため」という価値観や教育が大きく転換されました。それまで自分たちを支えてきた「戦争に勝つため」という考えは全否定され、「戦争は悪だ」とこれまでの価値観がひっくり返されたのです。
そのため、若い夫婦たちの中には、自分たちが生きていくべき方向を見失ったり、子どもたちをどのように教育すればいいのか分からなくなったり、といったことも少なくなかったと聞きます。私は今の日本も、大きく価値観を変えなければならなかった終戦当時の日本に近いように感じてしまうのです。