自分の生き方を顧みる
私が自分の嫌いな人間に対して極端に不愛想で礼儀知らずになり、激しい攻撃の言葉を発することが、何よりの母の心配だった。
嫌いな相手の欠点を見つけて攻撃する言葉は、子供のころから驚くほど巧みで、しかも激しかった。叱りながらどこかで「感心した」と後年母はよく言っていた。普通の人なら「そんなことはとても相手に向かって言えない」というようなことも遠慮しなかった。
小学校の四、五年生のころだった。母の知人の女性が家に来たときのことだ。よくやってくる人だったが、来てから帰るまで、自分の話ばかり、それも自慢をしゃべりっぱなしの人で、私はもともと大嫌いだった。
その日も、母に言われて、しぶしぶお盆にお菓子とお茶を用意して運んだ。母に催促されて、仏頂面で「いらっしゃいませ」と言ってお菓子とお茶を出した。
その時、その女性が「えらいねぇ」と猫なで声で言ったのだ。その声にムカついたのだろうと思うが、「私、おばさんのこと大っ嫌い!」と大声で叫んだのだ。
何十年も昔のことなのに、なぜか、そのシーンはよく覚えていて、その人が「あら、そうなの」と言い、どういう顔をしていいのかわからない、というような顔をしていたのを覚えているのだ。申し訳ない、などという気はずっと、さらさらなかった。
母が心配するわけだった。妹のことは「この子は心配ないの。いい子なの」というのが母の口癖だったが、私には毎日のように、手を変え、品を変え、お説教するのだった。