母の教え

そんなお説教によく出てくるのはお釈迦様の教えとか、仏教説話だったが、ときどき聖書の言葉や詩の言葉もあった。

「世の中で一番尊い施しは“法施(ほうせ)”というのよ」で始まる話をどのくらい聞いただろうか。

「施し」とは、人々にとって恵みになるような良い行為や金品を与えることだが、子供にはあまりよく理解はできなかったと思う。だが、そんなことはいっこうに構わないのだ。母の説教は続く。

「仏様や神様の尊い教えを、みんなに教えてあげることを法施というのよ。でも、これはなかなか難しい。だから次に財施(ざいせ)が大切なの。仏様の教えを広めて下さる人たちに、『自分に代わってお願いします』という気持ちでお金を寄付することは財施よ。

それだけでなく、困っている人や貧しい人に自分のお金や物を分けてあげるとか、何か良いことのために使ってください、と寄付をすることも財施よ。でも、これは子供にはできないわね」

「さあ、それでは、あなたはどうしたら仏様や神様のためにお役に立てるでしょう?」

母はなかなかの教育者だったのだ。

「子供でもできることはあるのよ。それが“身施(しんせ)”。身施って、わかる? 身体を使ってほかの人のための役に立つこと。病人や体の不自由な人を手助けしたり、お掃除やお台所で働いたり、草むしりしたりという、体を使ってご奉仕すること。自分の家だけでなく、みんなのために働くことよ。これならできるでしょ」

「できない!」

「したくない!」

間髪入れずに答えるのが子供時代の私の常だった。掃除も草むしりも大嫌いだったのだ。

「じゃあ、最後の一つしかないわね」

そうして「顔施」にたどり着く。にこやかな笑顔ややさしい表情はそれだけで相手を幸せにする。それが「顔を施す」ということだと母は言った。

「なにもできなくても、せめて笑顔くらいはできるでしょ。優しい言葉なら使えるでしょ」