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第五節 すれ違った友
その間にも彼を溺愛した母親の離婚、そして、自殺という事件があって、彼の心に暗い影を落としたようだ。彼女は首を吊って死んだというが、なぜかその死に顔はとても美しかったという。苦しんで死んだのではなくて、満たされて死んだというのが、せめてもの慰めだったようだ。
それに知る由もなかったが、彼の無二の親友も自殺したのだという。亡き母と友を偲んで、祈りの数珠を身に着けていて、仏のFと綽名されていた。彼にはそんな優しい心根もあったのだろうが、人に対してそれらしい素振りを見せたことは絶えてなかった。
そうこうして世を拗ね出し、酷いアル中になっていった。酒癖の悪さには定評があって、酔えば、しつこく人に絡んで喧嘩に持ち込んで暴れ、そして、女と見れば、露出狂となって醜態を晒した。
私のところに来た頃のFのあり様と言えば、病院のパジャマに、下駄履きという出で立ちで倉吉の街を闊歩し、大声で自慢の歌を歌っては、道行く人の耳目を引いた。歌は驚くほどうまかった。その頃にはすでに生活保護で暮らしていたが、プライドが傷つくのか、訪れた担当の職員をひどく罵って追い返し、自分から生活保護を切ってしまった。侮辱されたとでも言うように、卑屈になることを嫌っていた。
思うに、Fはあり余る才能がじゃまをして、平凡な仕合わせを求めることができなかった、というのだろうか。世に認められなかった、という境遇へのどうしようもない不満がそうさせたのだろうか。あるいは、セールス(押し売り)の仕事のストレスがそうさせたのだろうか。深く世を恨んで無頼のやからになっていた。人を小馬鹿にして笑い飛ばしては、口癖のように「俺は世間を舐めてやるのだ」と独り気を吐いていた。
彼は、社会のシステムに支配されて、汲々として生きている世の人たちを虫けらのように軽蔑し、若かった頃のアカデミックで、剛毅で、自由奔放な生活を懐かしんでは、思い出に耽っていた。ある時、彼は懐かしむように子供の頃に作ったという俳句を口ずさんでいた。
さんま焼く煙の中に母の顔
というのがそれで、文部大臣賞をもらったのだという。彼は周りから賞賛されるような子供だったのだろう。それは青春に至るまでそうだったのだろう。前途は洋々たるものだったのだ。しかし、……。