病院と助産所での出産体験から自律した出産を希望したD・Aさん
D・Aさんは、2002年に第1子を病院で出産しました。その出産の際に受けた医療処置による苦痛から、2011年の第2子の出産には助産所を選択し、さらに助産所の出産体験から2013年の第3子の出産にはプライベート出産を選択しました。
本州から北海道に移住し、農業を営んでいたD・Aさんは、第1子から自宅出産を希望していました。ところが、居住地域には開業助産師が不在のため自宅出産を断念し、病院で出産しました。なるべく医療介入を避けたい思いがあったため、分娩が長引き医師から陣痛促進剤を勧められたものの断り続け自然陣痛で出産できました。
しかし、いよいよ生まれるという時に、不本意ながらもクリステレル胎児圧出法と会陰切開を受け、医療に疑問を持ったと言います。クリステレル胎児圧出法は、陣痛発作に合わせ子宮底部を手で圧迫し、児の娩出を促す手技です。
「産むという時におなかを圧されたんですよね。それで切ってもあった(会陰切開もされていた)んだけど出血が酷かったんですよ。あんまりにも痛すぎて痛み止めももらったんです。ここまで頑張ったのに最後に圧すかぁ~、って感じですよね。やっぱり病院では2度と産むまいと、その時思いましたね」
D・Aさんは、陣痛促進剤の使用は拒否できたものの、いざ出産という時には説明もなく突然医療処置が施されました。拒否することができずに苦痛を強いられたため、次の子を出産する際には病院では産まないと思うに至りました。
第2子も自宅出産は諦め、通院に片道2時間程かかるものの助産所を選びました。出産は問題なくスムーズにできたものの、今度は医療者の立会う出産が人任せになってしまうことに納得できなくなり、もっと自律した出産をしたいと考え、第3子でプライベート出産に臨みました。D・Aさんは第2子の出産体験をこのように語っています。
「病院を経て、助産院で産んでみた感じ、なんかまだ周りに人がいるっていうのがどうしてもその人のせいにしちゃうというのか人任せにしちゃうというのか、(略)なんかまだやり切ってない感というか、結局わかんないことばっかりだったなって……」
「りきむ必要なんかないんだろうなって、(陣痛が)来るにまかせて自分のコントロールさえ抜きに、そのまんまを受け入れた出産をしたいと思ったんですよね。誰にもアドバイスをされないお産をしてみたいと思って……」
このように、D・Aさんは自身の感覚にゆだねる自律した出産を望み、第3子の出産はプライベート出産を選択しました。その背景には、第1子妊娠中の頃から湧水を使い、なるべく玄米菜食で化学的なものを採らない自給自足と、動くことを大事にする生活スタイルがあり、自分で産める自信がありました。そしてパートナーに理解があったことも、プライベート出産選択のベースにあったと言います。
出産は人生そのものです。プライベート出産の選択や自律的な出産には、出産についてどのような思想を持ち、どのような生活を送っていたかが影響します。