(追記)
八年前、Kの墓は犬挟峠の山裾にあって、墓土に立てられた白木の墓標や卒塔婆は、しばらくは艶やかに輝いていたが、日ごとに色褪せて黒ずみ、雨の日には暗く憂鬱な影を帯びた。私は彼の墓を尻目に、独り犬挟峠を登っていくと、彼と遊んだ蒜山高原や湯原湖のほとりを、当てどなくさ迷った。
独りで見る湯原湖は意外にも干あがっていて、どす黒い湖底を露にしていた。Kと遊んだ頃の湯原湖と言えば、青々とした湖水をたたえ、季節が梅雨だったせいもあって、白い霧雨に煙っていた。湖畔のブナ林は五月雨に濡れそぼって若葉を輝かせ、巻きついた藤蔓は、紫の花房を幾重にもしな垂らしていた。
車で通り抜けて行くと、そんな情景が白い霧の中から現われては消え、幻の世界に迷い込んだような不思議な気持ちに誘われた。Kはそんな心象風景を私に残して一人立ち去っていった。
同じ酒を飲みながら、彼は死に、私は生き残った。それも不思議と言えばこれほど不思議なことはなかった。ただ彼は何もかもやり尽くして、あとは死ぬだけだと言っていた。彼は死のうとして死んだのだ。しかし、私はそうではなかった。何一つ遣りおおせたという気がしなかった。そんな違いが二人の命運をわけたのだろうか。
それにしても、彼は余りに私によく似ていたばかりか、私の夢と幻を共有しようとしたほとんど唯一の男だった。私が彼に初めて逢った日、犬挟峠の麓の居酒屋で、独り酒を飲んでいると、彼が入って来て向かいの席に座り、見知らぬはずの私に、自分たちの原始からの魂について話し出した。私はその少しく幻想的な話に耳を傾けていたが、いつともなく酔いに任せて話し出していた。
――我々の住んでいる倉吉という土地の名についたクラという言葉が、魂を表わす言葉であること。例えば、岩に宿る魂を岩倉と言ったり、地の魂を地藏と言ったりするように。しかも、このクラという言葉は信仰を表わすと共に、原始交易(集団でなされた原始の物々交換)を表わす言葉であること(原始に於いては、信じ合うことと、与え合うこととは、同じことだったのだ)。