悲の断片

第二節 友の死

そして、マリノフスキーによれば、このクラと言われる原始交易こうえきが、今もなおメラネシアの島々の原住民によってなされていること。おどろいたことに、古代ギリシアのクラという言葉も、原始の信仰と交易をあらわしていること。

地図を広げて、メラネシアからギリシアにいたるところの、クラと名の付く地名をさがしていくと、クラと名の付く地名は、クレ、カラとも変形して、日本各地に散在し、ことにシルクロードの周辺しゅうへんはば広く点在している。そしてそんなシルクロードをかいして、ヨーロッパ各地に散在している。

そうして見ると、シルクロードはもともとは原始交易こうえき(クラ)のルートだったことになる。とすれば、我々のむ倉吉という土地の名にいたクラという言葉は、自分たちが原始のシルクロードの末裔まつえいとして、原始の魂の息吹いぶきをこの辺境の地にあって、今もなお受け継いでいることのあかしであることになる。倉繁、倉増、倉本、……といった名字も、いかにもそれらしい名におもわれる。

私はそんなふうに、クラというたった一つの言葉にけたロマンを、酔いにまかせてしゃべっていた。

Kはそんな私の話を興味深げに聞いていたが、我がを得たという様子で立ち上がると、私を赤いスポーツカーに乗せて、湯原の歓楽街かんらくがいともなった。そこで浴びるほど酒を飲んで回ったところで、私の記憶は途絶とだえてしまう。