神様の俳句講義 その三 春雷や
三度目に神様と再会したのは、横須賀吟行へ行ってから三日後だった。朝の散歩をしていると後ろから来た男が私と並んだ。黒縁の丸眼鏡をかけ、身長は百八十センチほどで、和服姿にインバネスコートを羽織っていた。
会話する時に、小柄な私が見上げなければならないくらいの長身だった。時々、深く息を吸い軽く咳をする。すぐに俳句の神様だとわかった。
「どう、調子は」
「おかげさまで順調です。富士山と朧夜の猫の句ありがとうございました」
「横須賀吟行でどんな句をものにした?」
「いえ、吟行では全く良い句が作れませんでした。今歩きながら考えています」
「何を詠もうとしているの」
「スカジャンです。私不勉強で、吟行の際に句友に教えてもらうまでスカジャンが横須賀の名物だと知りませんでした」
「私もよく知らない。いったいどういう物なのか」
私はスマホで撮った写真を見せながら説明した。
「第二次大戦直後、横須賀に駐留したアメリカ軍兵士の間で人気のあった土産物で、龍や虎や鷲などの東洋的な物や、部隊のエンブレムなどを、デザインした刺繍をあしらったジャンパー(ブルゾン)で、横須賀ジャンパーの略だと言われています。絹でできた落下傘の生地を染色し、腕利きの職人が華麗な絵柄を刺繍したオーダーメード商品だそうです」
「なかなか面白い物だ。それをどのように俳句に詠むのか」
「スカジャンの買い手が軍人だったため、彼らが好む虎や龍など強い動物がデザインされています。大きく開けた口から見える歯や牙、そして闘鶏のような鋭い爪などが強さを強調しています。そのうちで、まさに獲物を掴まんとしている龍の爪が、銀糸で刺繍されている、その力強さが印象的でした。それを俳句に詠みたいのですが、うまくいきません」
「大きな龍の鋭利な小さな爪そのものに焦点を当てるのだな。で、その爪を強調するにはどうしたらいいかな」
「東洲斎写楽の大首絵のように、大きくデフォルメする」
「それでは、デザインが台無しになる」
「爪に光を当てるのは?」
「良い考えだ。それで行こう。句作上、下五に光の当たった爪を持って来れば効果的だろう。春雷に光らせようか。『春雷やスカジャン背せなの龍の爪』でどうか」
私が二度うなずくと、「では、清瀬へ行く用事があるので、さようなら」と俳句の神様は、人影のなくなった辺りで、懐手をしてベンチの上に立ち、空へ昇って行った。インターネットで調べたら、今日会った落ち着いた背の高い男は、石田波郷だった。
今回の神様は紳士的で知的だった。俳句のキーワードを目立たたせるテクニックの一つを教わった。これは応用範囲の広い技のように思う。少し胸の病気を患っていらっしゃるようなのが心配だった。
春雷やスカジャン背の龍の爪
雪はしづかにゆたかにはやし屍室 石田波郷