神様の俳句講義 その五 消しゴムで
初めて俳句の神様に会ったのと同じ時間帯だった。私は、句会用の句を考えていた。季語が縛られている題詠形式で、夏落葉という夏の季語で句を出さねばならない。
夏落葉は、初夏に新しい葉ができる頃、徐々に落ちていく古い葉のこと。秋の落ち葉と異なり美しくもなく人目を引くことなく寂しく散っていく。この時の俳句の神様は、額が広く、縁のない眼鏡をかけ、下町っ子がそのまま齢を取ったような、ご隠居の姿だった。着ていたのは正絹の無地のお召しである。
「夏落葉とは、なかなかいい季語だな。できたのを見せてごらん」
「いいえ、まだできていません。私の年齢になると、夏落葉がとてもわびしい感じがします。若い世代に席を譲って、静かに落下していきます」
「俳句には大きく分けて二つの詠み方がある。対象となる一つの季語だけに意識を集中させ、その状態や動作を詠む『一物仕立て』と、一句の中で二つの事物(主に、季語と別の物やこと)を取り合わせて、両者の相乗効果を狙う『取り合わせ』だ。どちらで詠むのかは決めたのかい」
「それも決めていません。正直、この頃夏落葉の実物を見ていないので、一物仕立てで作るのは少し厳しいです。だから取り合わせでしょうか」
「それで、取り合わせるものは」
「まだわかりません」
「なんだ、まだ手つかずの状態か。それは何かい、一から十まで私に作らせて、それをちゃっかり句会に出そうという魂胆かい」
「いいえ決してそういうわけでは……」
「夏落葉といえば、何を思う」
「人生の輪廻ですね」
「難しい言葉が出たな。人生、それもこれまでの人生を思い返すと、若葉を茂らせた誇らしい日々もあったが、時が移り散っていくばかりのやるせない時節もある」
「ご隠居、あなたにもやるせない時節があるのですか」
「私は隠居じゃなくて現役でやっているので、やるせない時節はある。小説や戯曲は比較的順調なのだが、女性がやっかいだ。新しい女性と巡り合うと、今までの女がうとましくなり、出ていけ、俺が出ていくの修羅場。嵐が吹き、葉がたくさん落ちるのだ」