金次第
明石から京に復帰して、光源氏は、今や内大臣、住吉にお礼参りをした。その威勢は、すさまじい。たまたま同じ日に、明石に残されていた明石の君も、住吉に参詣した。
このときの明石の君の思いについて、物語は、「光源氏様のような盛大なご参詣に立ちまじって、人かずにも入らない私がいささかのお供えをしたところで、神様の目に入るはずもないだろう」(1)とする。
神様のご利益も、参詣をする人の真心ではなくてお供え次第だと、明石の君には見えた。紫式部はそう書いた。「地獄の沙汰も金次第」という言葉が思い出される。「神様も金次第」か。
神様が金次第なら、人の世はどうか。光源氏がまだ若かったころ、宮中で三人の男たちと女性談義をしたことがある。いわゆる「雨夜の品定め」である。頭中将が、家柄を上中下の三つの階級に分け、それぞれの階級出身の女性について、得意げに自説を展開したところ、光源氏が「何事も財力によるということですな」(2)と言って、頭中将を冷かした。
家柄を上中下にていねいに分類して論じたところで、結局のところ、「金次第」だと言うのである。
(1)立ちまじり、数ならぬ身のいささかのことせむに、神も見入れ数まへたまふべきにもあらず
(2)すべてにぎははしきによるべきななり
神々の怒り
須磨に退去している光源氏は、うららかな春の日、これから自分はどうなるのだろうかと思いながら、歌を詠んだ。
光源氏「八百よろづ神もあはれと思ふらむ犯せる罪のそれとなければ」(八百万の神様も、私のことをかわいそうだと思ってくださるでしょう。私は、何の罪も犯していないのですから)
そのとたんに、風が吹き始め、空がかき曇って、雨が激しく降ってきた。海面は光り、雷鳴が轟く。もうこの世の終わりかと思われるほどである。その後も、暴風雨は収まらない。供人たちが、声をあわせて、神仏に祈りを捧げた。
「光源氏様は、罪なくて罪に問われ、官位を奪われ、家を離れ、都を去って、明け暮れ心休まることなく嘆いておられます。このような悲しい目を見、命が尽きようとするのは、前世の報いなのか、この世で犯した罪によるのか、神仏がご覧になっておられるのなら、どうかこの悲嘆からお救いください」(1) すると、雷鳴がますます激しく轟き、光源氏の住まいに続く廊屋に落ちて、燃え上がり、ついに焼け落ちてしまった。